旅ブログ

奄美に行ってきた〜①奄美大島と大伴旅人・家持

よく働いてバテてしまった(と思う)夏の自分へのご褒美に、9月中旬、奄美大島に行ってきました。時期的に台風がくるんじゃないか、と心配していましたが、幸いずっと良い天気に恵まれました。

さて、奄美大島の歴史を紐解いていると興味深いことに出会いました。約3万年前から人が住んでいた奄美大島は、縄文時代後期から日本本土との交流が活発に行われており、装身具の材料となるゴボウラ・イモガイなどの貝殻を交易品としており「貝の道」として知られています。

奄美の存在が日本の歴史書に登場するのは、7世紀のことです。『日本書紀』657(斉明天皇3)年に「海見嶋」、 682(天武天皇11)年に「阿麻弥人」、『続日本紀』に699(文武天皇3)年「菴美」という表記がみられます。

大伴家持の父・大伴旅人は、710年(和銅3)年、正月に、左将軍として騎兵・隼人・蝦夷らを率いて朱雀大路を行進しました(『続日本紀』)。そして『続日本紀』には、714(和銅7)年に「奄美」が登場します。

朱雀大路行進の10年後、720(養老4)年、南九州で大規模な「隼人の乱」が勃発し、旅人は、征隼人将軍とし征討、隼人は完全に服従した、といわれます。大伴家持が誕生したのはこの前後だと考えられています。藤原氏に煙たがられた旅人は、724(神亀元)年、太宰帥に任命され、おそらく727(神亀4)年〜730(天平2)年の3年間太宰府で過ごした(10代前半だった家持も同伴)、と考えられています。旅人は731(天平3)年7月67歳で亡くなっています。

旅人は奄美大島のことを知っていたのでしょうか?

延喜式(10世紀に成立)によると、733(天平5)年の第10回遣唐使は、奄美を経由して唐に向かっているそうです。735(天平7)年に朝廷は遣唐使の往来状の利便のために碑を立て、遣唐使に奄美語の通訳をおいたそうです。

この記述が本当ならば、旅人は奄美大島のことを認識はしていた、と考えられますね。少なくとも旅人の部下の人々の中には奄美に関わった人がいた・・・と。また、1984年に九州太宰府庁跡から奄美島の他「伊藍嶋」(沖永良部島に比定)と書かれた木簡も出土しているそうです。

しかし、日本の国史からは、727年(神亀7年)を最後にしばらく奄美以南南島人の記述は途絶えます。

大伴旅人の息子家持は、藤原氏が勢力を伸ばす中で政治的には大変苦労します。

763(天平宝字7)年、藤原宿奈麻呂は九州筑紫で挙兵し失敗します。この事件に連座して家持は官位を失い、 8ヶ月後の764(天平宝字8)年正月に任命され赴任しました。この時奄美はどんな状況だったのか・・・知る由はありません。この年の9月、孝謙太上天皇と結びついた道鏡を排斥するため、恵美押勝(藤原仲麻呂)は兵を起こしたが失敗、敗死します。孝謙は重祚し、称徳天皇の時代となり道鏡は最高権力の座に着きます。2月、家持は薩摩守を解任され都に戻りますが無官散位のままでした。767(天平神護3)8月、家持は太宰少弐として太宰府に赴きます。3年の後、770(宝亀3)年6月に50歳を超えた家持は都に戻ります。

薩摩守として、あるいは、太宰少弐として、家持は「奄美大島」のことを認識していたのでしょうか?

上記したように、1984年に太宰府跡から奄美島などの島名を記載した木簡が発見されたことを契機に、奄美市の土盛マツノト遺跡や小湊フワガネク遺跡などの夜光貝大量出土遺跡の発掘調査が進められ、6~7 世紀頃を中心の、夜光貝匙をはじめとする貝製品が豊富に出土し、その中には加工途上のものも多数含まれており、交易活動が行われていたことがわかっています。しかし、大仏開眼の際の宝物に使われている夜光貝は唐から輸入されたものである可能性が高い(『正倉院伝来の貝製品と貝殻』熊本大学・木下尚子)とのことで、都の人々は奄美の特産としての夜光貝を知らなかったようです。

しかし、立場から考えると、旅人や、家持は、誰かから夜光貝を贈られていた、あるいは夜光貝を使った宝物を誰かに贈っていた可能性があるかもしれませんね。あれこれ想像するとワクワクしますね〜〜!

妄想逞しく楽しい時間が過ぎました。奄美大島の旅についてはまた・・・

2023年10月2日(月) 旧暦では8月18日です。

月が綺麗です。9月29日が中秋の名月、大きな満月でしたが、今日の月も大きくて美しい。風の涼しさに、ようやく秋がきたと実感しています。今朝も公園で彼岸花がまだ美しく咲いていました。今年は彼岸花が遅い、ということです。彼岸花の開花は地温の影響を受けているそうで、だからあまり開花日に変化がないそうですが、今年はそれほど暑かった・・・ということなのでしょうか。

私は、彼岸花の開花は日照時間の影響を受けているから開花日に変化がない、と何処かで耳にしてずっと信じていました。思い込み、要注意ですね。

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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