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あれやこれや 〜「宿木」を読む | manabimon(まなびもん)
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あれやこれや 〜「宿木」を読む

あれやこれやで2025年も2月に突入しました。あっという間。

書きかけのものが沢山あるのですが、とりあえずは最近の出来事から書いていこうかな。やりたいこと、書きたいことが沢山ありすぎて全然纏まりません。纏まらないから積み上がらないです。これはまずい。

とっ散らかっています。

とはいえ、それはそれで元気な印、と、健康に感謝して、まずは最近の出来事から。

「桜源氏会」と称した、源氏物語を読む会に参加しています。「集まることのできる人が集まって源氏物語の宇治十帖を読む」という会です。

2月3日(月)、京都在住のともだちの、素敵なお家で桜源氏会開催。一人一人にあったかソックスを用意してくれた心配り、嬉しいです。

私たちが今読んでいるのは、「宿木」です。宇治十帖のここまでのあらすじは、以下の通りです。

桐壺院の第八の皇子、源氏の異腹の弟八の宮は、冷泉帝擁立を避けようとする弘徽殿の女御により利用され、見捨てられ、宇治で隠遁生活を送っていました。その八の宮のもとに薫がしばしば尋ねてくるようになったのです。薫は自分の出生の秘密をなんとなく感じ、ぞくせを厭う気持ちを持っており、信心深く暮らす八の宮に憧れたのです。八の宮の娘の大君に心を惹かれた薫は、八の宮亡き後、大君に求婚します。

しかし、大君は薫に、妹の中の君との結婚を勧めます。大君以外の女性は考えられない(と思う)薫は、中の君の寝所に匂宮を忍ばせます。好色者として有名な匂宮と、中の君の結婚は、大宮にとって衝撃・恥辱でしかなく、大宮は生きる気力を失います。彼女は、薫を拒み通し、しかし、死の床にだけは優しく薫を招き入れ、死んでいきます。薫は大君の面影を追って彷徨うしかない運命を担わされるのです。

都に移った中の君の後見を務める薫は、大君の面影を中の君に求め、中の君への思いを抑えることができなくなっていきます。匂宮は、立場上、夕霧右大臣の娘六条の君と結婚することとなり、匂宮の子を懐妊した中の君は、自分の立場の弱さに宇治へ帰りたいと思うのでした。匂宮が六条の君を訪れている夜、薫は中の君に強く迫りますが、思いを成し遂げることはできません。匂宮は、残り香から薫と中の君の間を疑い、それが故にさらに中の君を愛おしく思います。中君は、自分に迫ってくる薫を疎ましく思いながらも、彼の後見を失うこともできない苦しさに苛まれ、異母妹「浮舟」の存在を薫に告げ、薫の気持ちを外らせようとするのでした。

大君が亡くなってから一年を迎え、薫は宇治に行き、自分の出生の秘密を知る弁の尼と一夜親しく語らいます。亡き父柏木について、、、。

 

今日はここから読み始めます。私は図書館で、アーサー・ウェイリーの訳した源氏物語を、毬谷まりえさんと森山恵さん姉妹が、さらに訳した「源氏物語4巻」を借りて持参しました。訳の読み比べが面白いだろうと思って。クリムトの絵をアレンジした表紙が素敵です。

https://sayusha.com/books/-/isbn9784865281637

この「再翻訳(らせん訳)・源氏物語」の魅力を、去(2024)年9月、NHK「100分で名著」で、安田登さんが、紹介しておられました「ウェイリー訳・らせん訳はときには原文を超えます。あるいは原文では気づかなかった世界を私たちに見せてくれるのです」。

というわけで、早蕨からのウェイリー版らせん訳を読んでみました。確かに、物語がストンと頭に入ってきます。情景がリアルに浮かぶのです。

ベンノキミ(弁の尼)は語ります。「シティにいる愛しいマイ・レディ(コゼリ=中の君)は、ぜひ訪ねてきてちょうだい、そこに死ぬまで閉じ籠って、会いにきてくれないなんて冷たいわ、と幾度も仰いますが、でもいまではこのような身。もうアミダ・ザ・ブレスト・ワン(阿弥陀さま)のほか、誰にもお会いしたくないのでございます。」

阿弥陀さまの事を「アミダ・ザ・ブレスト・ワン」=「アミダ聖人」と訳しているのがとてもわかりやすく面白い。また弁の尼にとって中の君は「マイ・レディ」なのだということも納得します。

中の君がコゼリ(ヤング・パセリ)と呼ばれるのは、八の宮没後の中の君の寂寥の歌「雪深い池のほとりに芽吹いたコゼリ(ヤング・パセリ)を、いまは誰たがために摘むのでしょう。今は喜んでくれる親もいないのに。雪深き みぎはの小芹 たがために 摘みかはやさん 親なしにして)」からだそうです。

大君は「アゲマキ」と呼ばれます。薫が八の宮の一周忌で大君に送った歌「あなたがより結んでいる総角結び(組紐の結び方)のようにあなたと私が長く寄り添えるようになりたいものだあげまきに 長き契りを 結びこめ おなじところに よりもあはなむ)。」からとった名です(宇治十帖の第3巻の題にもなっています)。

ベンノキミは、カオルが「どうしても会いたい」と思う「浮舟」についても語ります。「ウキフネの母君はプリンス・ハチ(八の君)の親戚で、実を申しますとわたしもそうなのです。・・・このあいだ、レディ・コゼリの侍女から手紙をもらいまして、なんでもウキフネが父宮さまのお墓参りをしたがっていて何とかできませんかと、頼んできたのです。・・・もしこられたら必ずお伝え致しましょう。」

裸木の森の中、燃えるような赤(レッド)を纏う一本の(蔦の)木をカオルは引き抜かせ、歌います。

あの枝の宿木(ミスルトウ)のように宿った館の主の思い出がなければ、この一夜はどんなに寂しかったか宿木と 思い出でずは 木のもとの 旅寝も いかにさびしからまし)。」(ミスルトウは蔦のイメージで、蔦のクリスマスの飾りの下では恋人がキスをして良い、というロマンチックなイメージを纏う言葉。館の主はアゲマキ=大君。)

そして、カオルは、この枝をニジョウイン(コゼリ=中の君の館)に送るのです。そこに居合わせたニオウ(匂宮)は、カオルの手紙を読み、コゼリに返事を書くよう促します。カオルとコゼリのやりとりは人畜無害な模範的な内容、しかし「我が御心ならひに、ただならじと思すが、安からぬなるべし」=「ご自分のおくせで、ただではあるまいとお思いなのが、落ち着いてもいられないのでしょう(玉上琢弥)」=「ニオウは、このような男女の仲を経験したことがありませんから、ちっとも安心できず、それどころか表向きは清い子の援助のうちにはきっと何か罪深いものが隠れているに違いない、とこれまでにも増して疑うのでした。」

どうでしょう、らせん訳の面白さが伝われば良いのですが。

というような訳の面白さにワーワーキャーキャー。はたまた、薫の性格のについて、ダメ出しをする声やら、出生の秘密を抱える薫に同情的な声やらが行き交い、、、。さらに、角田光代さんが薫のことを嫌い(『今読む源氏物語』山本容子・角田光代著より)なのはきっと何か訳がある、、、角田さんはきっとダメンズが好きなんだ、、、というような話やらで、あっという間に時間が過ぎていく、読書会なのであります。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309631776/

2025年如月5日 寒波到来ですが健気に咲いています。

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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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