詩の世界

本・万葉集の心を読む(上野誠)

現代人の万葉集の読み方として、上野誠さんは、「現代人が『環境問題、文化摩擦、男女間の新しい関係、労働と余暇を巡る新しいライフスタイル、家族の絆』にまつわる悩みを抱えていることを念頭に置いて」と前書きに書いておられます。

13の問題を設定して「万葉人との対話」を試みたこの本「万葉集の心を読む(角川ソフィア文庫)」は、2007年9月にNHKラジオ放送「こころを読む」シリーズの中で「万葉びととの対話」という題で放送された番組のテキストを文庫化したものです。

都市〜神々〜女性〜労働〜家族〜愛情〜怨恨〜揶揄〜笑い〜宴席〜庭園〜愉楽〜現在とつないで語られる、万葉びとの世界は、わたしたちの今とは違う世界ではありますが、今に繋がる世界でもあります。

733(天平5)年に多治比真人広成(たじひのまひとひろなり)を大使として難波を出航した遣唐使の母の歌。

旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天(あめ)の鶴群(たづむら)  (巻9 1791)

旅人が 宿を取る野に もし霜が降ったならば 我が子をその羽で包んで暖めてやっておくれ。天高く飛ぶ鶴たちよ。

一行は無事に蘇州に到着し任務を全うしたのですが、帰途734(天平6)年4月彼らは暴風雨巻き込まれます。一つの船は現在の種子島に漂着し翌年3月帰京。一つの船はインドシナ半島まで流され、殺傷事件や風土病で115人中90人が死去、唐にった残りの25人は阿倍仲麻呂のとりなしで、渤海国からの帰還を目指し、またもや暴風雨に遭いながら739(天平11)年になんと出羽国(現在の秋田県)に辿り着いたそうです。後の二つの船の行方はしれません。

そのような旅に我が子を送り出した母たちがどのように我が子の無事を祈ったのか、歌の中から上野さんは探っていきます。竹玉を作って垂らし、甕に水を入れてコウゾから作った白い布を垂らして、祈ったのでした。746(天平18)年大伴家持が越中に赴いた時に、叔母の大伴坂上郎女は甕を私の床のあたりに据えた、という歌を歌い、家持の無事を祈っています。

大切な人の無事を祈りながら女たちはただ子供や夫の帰りを待つばかりの存在ではありませんでした。労働者として日々の営みを送っていたのです。

名門大伴家の家刀自大伴坂上郎女、その娘で家持の妻大嬢も例外ではありませんでした。平城京の外にある「庄」に出向いて、収穫された稲の検分や、人々への慰労、税関係の雑用などに忙しくしていたのです。家持は都と庄の行き来をします。都に戻った家持に739(天平11)年9月に大嬢が送った歌。

我が業(なり)なる 早稲田の穂立(ほたち) 作りたるかづらぞ見つつ 偲はせ我が背(巻8 1624)

これはね私がまいて育てた早稲田の稲穂よ。私が作った髪飾りを見ながら、私のことを思い出してくださいね、あなた。

というように、大伴家の人々(坂上郎女、大嬢、家持、旅人、駿河麻呂など)やその他の人々(防人歌、東歌、遣唐使の母、額田王、柿本人麿、山部赤人、紀郎女、山上憶良、中臣清麻呂、市原王、大原真人今城など)の歌を元に上野さんは当時の人々の生活を浮き彫りにしていきます。

公の書に記録されない、私的な時間の膨大な蓄積が万葉集にはあります。万葉集はあまりにも膨大で、手のつけようがない、と感じることもあります。が、だからこそ、その膨大な歌のどの歌と向き合うかを選んだ時、そこに「主体的な読み」が生じ、自分自身の体験との重なりが生まれ、万葉びとの声がこちらに届くのだ、と、この本を読んで実感しました。読み終わった後、「上野さんありがとう!!」と思いました。

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2020.霜月.7  旧暦では9月22日です。

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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