戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊(When Books Went to War : The stories That Helped Us Win World WarⅡ) モリー・グプティル・マニング著 松尾恭子訳
読み応えのある本でした。愛聴している「飛ぶ教室」で紹介していたのを図書館で予約。
戦場で本を手にする男性の写真で飾られた表紙を開くと「Books cannot be killed by fire.」と書かれた表紙の本が、焼かれながらも、すっくと立つイラストが扉にあります。「人々は死ぬ。でも本は決して死なない。〜」という文が続きます。その扉を開くと、沢山の本が焼かれている写真が・・・。
「1933年5月ベルリンをはじめとするドイツ全土の都市で、多くの書籍が燃やされた。ヨーロッパでは、第二次世界大戦が終わるまでの間に、一億冊以上の書籍がナチスによって葬りさられた。」
その下には図書館の前に集まる人々の写真が・・・。「アメリカの図書館員は、軍のために書籍を寄付するよう国民に求め、ドイツが行う「書籍大虐殺」に対抗した。書籍を寄付し、お気に入りの著名人を一目見ようと、大勢の人がニューヨーク公共図書館の階段の前に集まっている。」
その後に続く写真とコメントを読むと、この分厚い本の粗筋がわかります。「兵隊文庫は、兵士にとって何よりの慰めであり、戦い抜くための力になった。」
様々な人々が様々な場面で力を尽くし、自由のために戦おうとする兵士達のために本を集めて送ります。「本は武器である」
実は日本だけでなくアメリカでも第二次世界大戦中、政府は様々なものの供出を国民に求めていました。1941年の夏アメリカはアルミニウム不足に陥り、アルミニム屑回収運動を行いました(実は純粋なアルミニウムしか航空機製造には利用できないことをこの回収運動の後知ったそうです)。その他にも、紙・ボロ布・金属・ゴムの供出も求められていたそうです。そして日用品は配給制となっていたのです。そんな中でも本は集まりました。
ある陸軍軍医の言葉「軍の能力の向上に最も役だったのはペニシリンであり、その次に役だったのが兵隊文庫である」〜兵隊文庫によって、兵士は退屈を紛らし、元気になり、笑い、希望を持ち、現実から逃れることができたのです。漫画からプラトンまで各人の好みに合う一冊が必ずあり、以前には一度も本を開いたことのなかった兵士が、ボロボロになり字が読めなくなるくらい本を読み回していきます。その本の中には兵士たちが復員した後の職業選択に結びつくものもあったといいます。
訳者の松尾恭子さんはあとがきで「第二次世界大戦における本を巡る歴史は、いわば忘れられた歴史である。マニングはそれを丹念に掘り起こし、光を当てた。今まで知り得なかった歴史の一端に触れさせてくれる本書をぜひ、多くの方にお読みいただきたいと思う。」と書いておられます。
本の力を知っていた人々の紡いだ歴史から、改めて本の持つ力の大きさを感じました。私たちは「アメリカの物資の力に負けた」と、第二次世界大戦を評価しがちですが、物資だけでない力の差があったことは確かだ、とも感じました。兵隊文庫は戦後、進駐軍により日本にももたらされ、アメリカの文化を日本人に伝える役割を果たしたそうです。
訳者後書きには、日本も兵士用の本を製作しており、江戸川乱歩らの作品が含まれていたことが書かれていました。兵隊文庫の実物を手にした訳者は、「この兵隊文庫を読んだ人はどんな人だったのだろう。どこで戦い、どんな運命をたどったのだろう。生きて故郷に戻れたのだろうか・・・。」と思いを馳せたといいます。兵隊文庫を作ったのはどんな人たちだったのでしょう?
また、例えば「ホトトギス」を持って戦地に赴いた兵士たちもいました。https://manabimon.com/senkanohototogisu/
日本の戦時中にも本を巡る様々な人々の物語があると思います。そんな本も探して読んでみたいと思います。ご存知の方おられましたら是非教えてください。
2021年12月13日