詩の世界

万博公園〜つばき2022〜家持・池主・今城

万博公園には梅林とともにつばき園があります。2月15日つばき園にも足を伸ばしました。朝倉笑顔

これらは山茶花(サザンカ)です。10月ごろから咲きだし、花びらは一枚ずつ散ります。ここつばき園では今はまだサザンカの方が多く咲いていました。看板を見るとここの椿の見頃は3月〜4月とのことです。ぽつりぽつりと咲いている椿にも趣がありました。

 月影胡蝶侘助

数奇屋太郎冠者

雪の詩柊葉椿

岩根絞姫唐子

婆の木一休

覆輪雛侘助野々市の春

本来椿は「つらき」と呼ばれていたそうです。花が点々と葉間に咲く姿を「列々(つらつら)」と万葉仮名で表しています。そして「つらつら」を「つばら」とも言うそうです。現在は山茶花と椿を区別しますが古くは区別していなかったようです。

河の辺(へ)の つらつら 椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野  万葉集巻一 56

川のほとりのつらつら椿はいくら見ても見飽きない。巨勢の春野は。

巨勢の野とは、現在の奈良県御所市古瀬の重阪(へいさか)川流域の峡谷の平地だそうです。万葉集第一巻に収められているこの歌は古くから伝誦されており、万葉集第二十(最終)巻の、家持の次の歌にもその影響がみられます。

あしひきの 八峰(やつを)の 椿 つらつらに 見とも飽かめや 植ゑてける君 巻二十 4481

あしひきの幾重もの山奥に咲くはずの椿だから、椿はつらつらといくら見ても見飽きない。そのように見飽きない、これを植えたあなたは。

天平勝宝9(757)年3月4日、兵部大丞大原今城の館での宴での作です。大原今城が植えた椿を見て作った歌ですから、当然「君」とは大原今城をさします。

この歌の前4480の歌に注目したいです。天平勝宝8(756)年11月23日、大伴池主の館で歌われた歌です。

畏(かしこ)きや 天の御門(みかど)を かけつれば 哭(ね)のみし 泣かゆ 朝夕(よひ)にして  作者未だ詳(つばひ)からならず 伝へ読めるは兵部大丞大原今城

恐れ多いことよ。朝廷のことを心にかけると、泣かれてしまう。朝も夕も。

「実はこの歌は大原今城の新作で、伝誦歌をよそおったのだろう。第二句は時の政情の不穏を諷し池主にそれとなく示したもの。」と中西進さん(万葉集全訳注原文付四)。8ヶ月後池主は奈良麻呂の変に連座し、この時を最後に歴史から姿を消します。

この二首が並べられているところに、編者の意思を感じます。4481「山奥に咲くはずの椿」とは今眼前に咲く椿とは別の椿をイメージしており、それは、紛れもなく、大伴池主を指していると言えるでしょう。

大伴家持・大伴池主・大原今城についてはこのブログでも繰り返し触れていますが、この3人プラス久米広縄をめぐる物語、だれか大河ドラマにしてくれないかなあ〜〜

2022・2・17 西日本大雪の日

 

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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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