大河ドラマ「光る君へ」が終わって(面白かった)、本屋さんも図書館もYouTubeも、江戸時代ブームとなっていますね。江戸時代も面白いが、平安時代も、なお面白い。
藤原隆家を主人公にした本『刀伊入寇』を読みました。
全48話の大河ドラマ終盤(46話『刀伊の入寇』47話『哀しくとも』)での、まひろが九州で刀伊入寇を経験した、という展開には度肝を抜かれました。紫式部の足跡はわからないことだらけなので、なんでもありといえばあり、、、脚本家大石静さんの発想力に驚きました。
そして「藤原隆家」について、「やんちゃくれのアホぼん」みたいな印象を持っていたことが大間違いだったことを知りました。
ドラマに連動して、NHK「英雄たちの選択」や「知恵泉」でも藤原隆家を取り上げました。隆家の、歴史の、それまで私の知らなかった側面がたくさん取り上げられていました。
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/episode/te/N79JJYJV6K/
https://www.nhk.jp/p/chieizu/ts/R6Z2J4WP1Z/episode/te/MVXRP8JGW4/
ということで、隆家を主人公にした本はないか?と探し、葉室麟さんの『刀伊入寇』に行き当たりました。同じことを考えている人が何人かいて、図書館で本の順番待ちをしているうちに、ドラマ「光る君へ」は終了しました。(総集編まで楽しみました。総集編は、紫式部自身の回想という思い切った編集がされており、そこには九州での出来事は登場しませんでした。)
九州太宰府は、古来、大陸との外交や軍事の拠点となる場所でした。大伴家持の父大伴旅人は、727(神亀4)年ごろから730(天平2)年大宰帥として赴任、少年家持も同伴した、と考えられています(家持自身も50歳の時に大宰少弐となりました)。まさに、727年(神亀4)渤海王が、使者を派遣、日本と渤海との交渉が始まりました。家持も渤海の使者と会っていたと想像できます。
日本が定期的に海外と交流したのは、遣唐使廃止(894年が最後。907年に唐が滅亡。)後は渤海のみとなりました。そして渤海は929年に滅びます。以後、日本は、(960年の宋の中国を統一後も)他国との交流を積極的には行いませんでした。
葉室麟さんの『刀伊入寇』は、995年、公卿として権力の中枢にいる17歳の少年隆家の登場から始まります。国の外に目を向けない、藤原氏一門内での権力争いの京での日々、に退屈しきっている「さがな者(荒くれ者)」隆家は、荒ぶる心を抑えられず「本当に強い敵」を求めています。貴族の一員としては珍しい心の持ち主・・・とはいえ、平安貴族たち、結構荒くれだったこと、『殴り合う貴族たち』(繁田信一)にありました。
物語にはのっけから、不思議な人々や鬼たち、が登場し、隆家のその後を暗示します。花山院と関白家との因縁をめぐり、清少納言、安倍晴明、済子女王、花山院、という実在の人物が登場、それぞれが強い印象を与えながら、物語を紡いでいきます。
安倍晴明から「あなた様が勝たねば、この国が滅びます」と告げられ、「とい」という名を教えられ、しかし何のことかさっぱり分からない隆家は、否応なく、権力を巡る争いの中に投げ込まれていきます。
藤原実資(光る君へで、ロバート秋山さんがとてもいい味を出して演じておられましたね)の記した、「小右記」に記録された、伊周と道長の「闘乱のような言い合い」や、隆家と道長の「合戦のような争い」、などを経て、花山院・道長と、伊周・隆家兄弟との闘争の顛末が描かれます。そこには怪しい「とい」の姿が見え隠れします。
この辺りから、物語に引き込まれ、一気に本を読み通しました。史実を織り交ぜながら、縦横無尽に広がっていく作者の発想の力によって、別世界に運ばれていくように感じました。
隆家は、「鬼」=「とい」=「刀伊」が、70年前に滅びた渤海国の末裔を示すことを知ります。その後、紫式部と出会い、彼女の語る物語に魅せられた隆家は、紫式部から、越前で宋の人々から聞いたという、渤海国の末裔たちについての話と、その話や過去の史実をもとに「光源氏の物語」を思いついたことを知らされます。
「ありえん・・・」と、何度も思いながら、でも、面白いのです。「光る君へ」と同じです。あの時代のことは誰にも真実はわかりません(今の時代だって同じといえば同じです)。
歴史が示す事実として、「藤原隆家」という人は、ただの「アホぼん」ではなく、「ラッキーだったから刀伊を撃退できた」わけではなく、相当に芯の太い「清々しい生き方」(物語の中の紫式部の言葉)をする人なのです。先述した「小右記」を書いた藤原実資(道長に靡かなかった)からも可愛がられていた気骨のある人なのです。
大伴旅人の時代から、700年の後、1014年に、隆家は大宰権帥に任ぜられました。隆家は、眼を傷つけ、実資に相談し、進んだ医学を求めて、大宰府への任官を希望したのでした。35歳を過ぎた隆家は、希望通り九州に赴きます。
物語は、当時の大陸の情勢が、隆家の息子である烏雅が刀伊の頭領として認められていく物語と重ね合わせて語られていきます。
「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」という歌の通り、野望を達成し、満月のように満ち足りた道長が出家した1018年3月、刀伊の国の賊徒が壱岐守を殺し住民を略奪し九州本土を脅かしている、という知らせが入ります。狼狽える朝廷はなす術を知りません。隆家はそれを想定してか、実資に「自ら軍を率い、合戦すべし」と手紙を書きました。
物語の中の隆家は「『美しきもの』・『この国の雅』を守るために戦う」と言います。
敗者の悲しみや切なさの中にこそ発露される美しさに、この国は耳を傾け称える、それが「雅」なのだ、と、考えるのです。
刀伊入寇を撃退しこの国を守った隆家に恩賞は与えられません。都の貴族たちは「朝廷から命じられていない戦いは私闘と同じ」という理屈を押し通そうとするのです。実資の進言により、隆家の望んだ九州の武士たちへの恩賞は認められましたが、自身への恩賞を申請しなかった隆家には何もなかったのです。
隆家は「やまとごゝろかしこくおはすひとにて」と『大鏡』には記されている、物語の最後に述べられています。
「やまとごゝろ」とはどのようなものか。いろいろな解釈があると思いますが、葉室麟さんが、短い期間に書いた沢山の小説の主題は「やまとごゝろ」だったのだと感じます。江戸時代の武士を描くことが多かった葉室麟さんが、平安時代の藤原隆家を主人公に物語を描いた理由もそこにあるのでしょう。
隆家の子孫はその後も日本の歴史のさまざまな局面に登場します。また物語の最後では、1127年に中国を支配した「金」(女真族=刀伊)にも隆家の血が伝わっているかもしれないと示します。
「ありえん・・・」いやいやわかりません。面白い小説でした。
2025年2月13日(水) 中央公論新書『刀伊の入寇』筆者の関さんのインタビューがありました。隆家の時代の理解に役立ちます。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/119491.html
