社会をまなぶ

コソボ⑴木村元彦さんと藤原辰史さんの対談@隆祥館書店

大阪地下鉄谷町線、谷町六丁目駅7番出入口向かいに「隆祥館書店」という小さな書店があります。この書店は、おもしろい企画を次々と立ち上げています。https://atta2.weblogs.jp/ryushokan/%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E6%A6%82%E8%A6%81.html

2023年2月4日、ジャーナリスト木村元彦さんの、新刊「コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴ最後の代表チームと臓器密売の現場を追う」の発刊記念として、木村さんと京都大学准教授藤原辰志さんの対談イベントが開かれました。

https://atta2.weblogs.jp/ryushokan/2023/01/202324-%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%8B%E3%82%89%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%8B%E3%82%B2%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%83%E5%BD%A6%E3%81%95%E3%82%93-%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E4%BA%BA%E6%96%87%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%A0%94.html

私はイベントに参加できなかったので大変残念に思っていたところ、アーカイブ動画を送ってもらえるとのこと、早速申し込みました。期待通り、「本を読む前に理解しておいて欲しいことを話します」と、そもそも「コソボ」のこと全く理解していない私のような者にとっても、理解しやすいように工夫された善意に満ちた対談でした。

ナチスドイツの占領から、ユーゴスラビアは人民解放軍総司令官チトーのもと、自力で国を解放しました。第二世界大戦後、ハンガリー(1956年)やチェコ(1968年)の民主化はソ連に潰されましたが、1960年代のユーゴスラビアは、チトー大統領のもと、公正な立場を崩さず豊かな多民族国家を作っていました。「ヒトラーに勝ち、スターリンを退け」、「兄弟愛と統一」の標語のもと民族間の対立を融和し、独自の社会主義国としての地位を保っていたのです。

欧州連合=EU(当時は欧州経済共同体=EEC)への加盟がほぼ決まっていたユーゴスラビアですが、1980年にチトー大統領が死去してから民族主義が台頭し、セルビアのシロシェビッチ、クロアチアのトゥジマンが登場し、民族の分断を深め、ユーゴスラビアは崩壊していきます。

1990年ごろユーゴスラビアはサッカー最強国として知られていました。しかしサッカーはナショナリズムに利用されます。強烈なアイデンティティの発露としてチームを応援するサポーターたちの言動は過激になり、他民族を否定する方向へと走りがちになります。

1986年、サッカーユーゴスラビア代表の監督に就任したイビジャ・オシムはユーゴスラビアの最後の監督、悲劇の監督といわれます。1990年FIFAワールドカップイタリア大会に出場したユーゴスラビア代表はベスト8に残ります。しかし5月、クロアチア独立を掲げるトゥジマンが選挙に勝ち、セルビア人との対立が深まり、その結果、ユーゴスラビア代表選手たちは自分の民族を申告させられる状況となり、代表を辞退する選手が相次ぎます。1991年ユーゴスラビアは翌年の欧州選手権の予選通過を決めていましたが、夏、ユーゴスラビアは解体を余儀なくされます。1992年3月ボスニア・ヘルツェゴヴィナのユーゴスラビア離脱により、オシムの故郷サラエヴォはユーゴスラビア軍の侵攻を受けました。5月オシムはユーゴスラビア分裂への抗議の意味を込めて代表監督を辞任します。

その後、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、コソボ、では、各民族によりナショナリズムを煽る教育が行われ、凄惨なジェノサイド、レイプなど暴力による「民族浄化」が行われ、内戦状態に陥りました。1995年、国連指定の安全地帯であったスレブレニツァにセルビア部隊が侵攻しボシュジャック人の男性8000人以上が虐殺されました。

こうしてまとめようとすると分からないことがどんどん出てきます。誰が一方的に悪い、という考え方ではまとまりません。民族同士の対立感情が煽られ、先鋭化していくことをどうすれば止められるのか?ナチスドイツで行われた過ちがなんども繰り返されることをどうすれば止められるのか?

NATO軍によるセルビアへの攻撃介入により停戦となり、1995年アメリカ(クリントン政権)に、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、ユーゴスラビアの各大統領が集まり、43ヶ月間にわたった内戦終結のための平和協定に仮調印、12月にパリで和平が正式に合意、調印されました。そのような状況下、コソボへ多くのセルビア人が流入し、アルバニア人との対立が深まり、1998年2月にはコソボ全土で武力衝突が起こり、30万人が難民となりました。(一方、1998年にはユーゴスラビア代表・クロアチア代表はFIFAワールドカップフランス大会に出場しました。)

セルビアへの批判が強まり、アメリカ・EUによる制裁、NATOの介入を経て、10月に停戦が合意されますが長続きせず、12月には武力衝突が起き、ラチャックで虐殺事件が起きます。1999年にはNATO軍が空爆を行った結果、セルビア軍はコソボから撤退します。このNATO空爆は多くの賛同を得ました(先日亡くなった日本の平和運動を推進したノーベル賞作家大江健三郎さんも賛意を表しました)が、その後コソボではセルビア人が迫害され、臓器密売の餌食となるという恐ろしい事実が生じました。

Jリーグ名古屋グランパスに所属、ユーゴスラビア代表としてプレイしていたストイコビッチ選手は、それまではできる限り政治的な発言は控えて来ましたが、1999年3月27日の神戸戦後に「NATO STOP STRIKES」(NATOはユーゴスラビアへの空爆を止めよ)というアンダーシャツを見せて空爆への抗議行動をとりました。

1990年代は、ユーゴ紛争の解釈において、「セルビア勢力だけが一方的な悪者」という「セルビア悪玉論」が世界的に流通しました。しかし、最後のユーゴスラビア代表選手である名古屋グランパスで活躍したストイコビッチ選手(現セルビア監督)の人生を辿り、そのような見方が一方的であることを木村さんは明らかにしました。(「悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記」「誇り ドラカン・ストイコビッチの軌跡」)

https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-745801-5

https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-747245-0

時々、藤原辰志さんが登場。ナチスドイツの研究をしている藤原さん、木村さんに勧められ、クロアチアを旅したそうです。1945年ヒトラーの死でナチズムは消えた、と多くの人が思いましたが、全くそんなことはない現実がそこにありました。ナチスの傀儡国家であっったクロアチア独立国では、ユダヤ人だけでなくセルビア人、ロタ人を虐殺していた事実があります。しかし、セルビアの指導者トゥジマンはこの事実を「デマ」だと断じました(日本でも同じように「デマ説」が流布されていますね)。公正なクロアチア人も沢山いる中で、民族主義者が他民族を排斥し、ナチズムと同化している、むしろナチスがむしろ解放者になって鉤十字をシンボルとして人々が集まっている、というのです。

2005年10月ワールドカップ予選にてセルビア・モンテネグロとボスニア・ヘルツェゴヴィナの対戦で、サポーター同士のぶつかり合いが起こりました。交わることのない民族主義は、一見平和になったこの地域の中で、民族同士の対立を再生産し、お互いを理解することなく、憎悪を膨らませるばかりなのです。

そんな難しい民族融和に放送の場で尽力した、元NHKヨーロッパ総局長長崎さんが、オンライン参加しておられました。JICAと協力し、アルバニア系とセルビア系の人々それぞれが協力できるテーマを提案し、50本もの番組を一緒に作ったそうです。成果も出ていましたが、極端な民族主義が台頭し、2021年2月には大アルバニア主義を選挙公約にする党への支持が50%になったそうです。現実は本当に厳しい。

藤原辰志さんが最後にまとめたように、木村元彦さんは、現場に駆けつけ、取材し、「サッカー」を切り口にわかりにくいこの地域のことをわかりやすく描いてくださいました。2011年オシムが民族別に3つに分かれているボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会の統合に奔走し、同国代表が2014年サッカーW杯ブラジル大会本戦進出を果たし、チームの中で殺しあった民族であってもパスができシュートができ、皆の心に勇気を灯すことができた、という素晴らしい出来事を生み出しました。しかし、そのような繋がりを、メディアや民族主義者による、わかりやすい図式化・分断化は、一気に潰してしまうのです。

木村元彦さん、藤原辰志さんのお二人の対談、とても面白かったです。このような企画を実現してくださった隆祥館書店の二村知子さんにも感謝です。(4月のイベント『漫画はだしのゲンの継承について、漫画と講談が訴えていること』も大注目です。私は残念ながら予定があり今回も参加できません。)

入り組んだわかりにくいこの地域のことは容易に理解できず、このまとめも穴だらけ、わからないところだらけです。しかし、この地域のことを学ぶ中で私たちは単眼でなく複眼で物をみることの大切さを学ぶのだと感じました。さて次は本です。

2023・3・15 三月に入り、日に日に様々な花が咲き始め、とうとう今日は我が家近くの桜がほぼ満開となりました。

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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