大伴家持、万葉集の編者、万葉集にない繊細さを持った歌人、、、山上憶良、貧窮問答歌、子煩悩の社会派歌人、としてあまりにも有名、、、私たちの多くはそれくらいの理解ですよね。
この二人を比較し、軸にして、「自然体の万葉集」を見ようとするのがこの本です。作者は「令和」の名付け親として一躍有名になった、中西進さんです。この本を書いた2000年当時は、今は大阪府立大に吸収合併された大阪府立女子大学の学長でした。(大阪府立大も大阪市立大と合併、大阪公立大学になりますね。英語名が大阪大学と混同しやすいと大阪大学から抗議されていて、それって恥ずかしい事だなあと思いました〜勿論これは中西さんとは全く関係ない話です。言葉に敏感な中西さんだったそういう事はしないでしょうね。)
大伴家という歌の家に生まれた家持は、和歌の伝統を引き継ぎ、恋愛や友情という心のあり様、自然との対話、王権の賛美、死の哀悼を歌います。それに対して、おそらく百済の要人の子で幼い頃に日本に逃亡してきた憶良は、一首の恋歌も歌わず、人間愛とは何かを真正面から考えました。また、一首の自然詠も歌わず、社会のあり様を歌いました。王権を賛美することはなく、個人の名声や栄達を求め、死を怖れました。二人のこの違いこそが、万葉集の持つ「幅」だと、中西さんはおっしゃいます。
しかし、伝統的な(はずの)家持は、これほどまでに異質な憶良を慕い、憶良に習った歌を多く作ります。
憶良のあまりにも有名な歌、
世の中を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば (巻五893)
よのなかを うしとやさしと おもえども とびたちかねつ とりしにあらねば
この世の中が辛いと思う、恥ずかしいと思う、思うけれどもこの世の中から飛び上がることができない、鳥ではないので。
士(立派な人間)として志をもち、詩を作って死を迎えたい、と四つの「し」を憶良は貫こうとするけれど時として絶望感に襲われるとき、憶良は、大空を飛び翔ける鳥を見つめます。鳥に眼差しを向けながら、しかし憶良の実際は貧窮の苦しみに喘いでいるのでした。
生きる事は苦しみを重ねる事であり、さらに老いて重い病を得ると死にたいと思う、でも子どもたちのことを思うと死ねない、、、、、子どもを捨てて本当に死にたいのか?いや死にたくない、「生きたい」のだ、、、と「生」への意思を表明します。
水沫なす 微しき命も たく縄の 千尋にもがなと 願ひ暮らしつ(巻五902)
みなわなす いやしきいのちも たくなわの ちひろにもがなと ねがいくらしつ
こんなに儚い命でも手を広げた長さの千倍にもなれと願いながら暮らしているよ。
そして、憶良は死を目前にして次のような歌を歌います。
士やも 空しくあるべし 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして (巻六987)
おのこやも むなしくあるべし よろづよに かたりつぐべき なはたてずして
万代に語り継がれるような名を立ててこそ立派な人間である。その名を立てないまま空しく死んでいくことの悲しさよ。
彼の望みは、彼自身の名をあげ残す事でした。子煩悩で仕事より子供をとる、というイメージを憶良に持っていた私には意外でした。百済から帰化し政治的地盤を持たなかった彼は自らの力のみを頼りに生き、その力及ばず死ぬことを悔やむのです。その歌は、明晰な知や理と生身の感情との葛藤を表しており、感性を主とした万葉集の歌人たちの中で異彩を放っています。
一方家持は、750年33歳の時、世の無常を嘆きながらも大伴家を背負って行かねばならない自分の運命を次のように歌います。
うつせみの 常無き見れば 世の中に 情つけずて 思ふ日そ多き(巻十九4162)
うつせみの つねなきみれば よのなかに こころつけずて おもうひそおおき
世の中が無常であることを見るにつけ、世事に心を打ち込むこともできなくて物思いにふけることよ。
大夫は 名をし立つべし 後の代に 聞き継ぐ人も 語り継ぐがね(巻十九4165)
ますらおは なをしたつべし のちのよに ききつぐひとも かたりつぐがね
勇敢な人間は名前を立てるべきである。後の人たちもその名声を語り継ぐように。
物思いに耽る自らの姿を率直に示しながら一方で自らを奮い立たせる歌を詠むのです。分裂する心に痛ましさが感じられます。運命は家持を翻弄します。756年5月聖武天皇が崩御、その6月に家持自身が病に伏した時に無常を思い次のように歌います。
世間を 倦しと思ひて 家出せし 我や何にか 還りて成らむ (巻十三3265)
よのなかを うしとおもいて いえでせし われやなににか かえりてならん
世の中を厭うて出家した私が今更世間に戻って何になろう。
さらにまた、
泡沫なす 仮れる身そとは 知るれども なほし願ひつ 千歳の命を(巻二十4470)
みつぼなす かれるみそとは しるれども なおしねがいつ ちとせのいのちを
水の泡のような仮の身である私の身だと知っているけれどそれでも千年の命を願うのだ。
と歌います。この世を厭い出家したいと願いながら、しかしこの世で長く生きたいと願うのです。
上記4首いずれの歌にも、言葉の用い方や考え方に憶良の影響を見ることができますね。あまりにも違う二人ではあるけれど、家持は憶良のあとを追い、深い思索の末に長い生を望んだのだと中西さんはまとめておられます。
大変奥行きの深い内容の本でした。随分あれこれ考えたのですが、上手くまとめることができなかったなあと思います。ぜひご一読ください。憶良の悲しみ、家持の悲しみ、それぞれの悲しみの深さがひしひしとヒリヒリと伝わります。
1990年NHKラジオ講座「こころをよむ」のテキストとして出版されたものに加筆修正されたものが本書だそうですが、残念ながら品切れとなっており、https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000841082000.html
中古でしか手に入りません。可能ならばこの時のラジオ講座を聴いてみたいものです。
2020.8葉月.2(日)