春の訪れを告げるすみれの花。友達からもらった我が家のすみれも、もう長い間次々と咲き続けています。
万葉集には巻八に三首の歌。この巻八は、万葉集の第二部の始まり、志貴皇子の名歌で始まります。
石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上の早蕨(さわらび)の萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも 巻八 1418 志貴皇子
岩の上をほとばしる、滝のほとりの早蕨が、萌え出る春に、ああ、なったことだよ。
大好きな歌です。新春の賀宴に祝意を述べる意で題詠された歌とのことですが、春になって雪解けの水が勢いよく流れ、滝となって落ちて、飛沫をあげている、その水しぶきがキラキラと光る、滝壺のほとりに、瑞々しい柔らかな産毛を生やした蕨の芽がまた光を受けて、キラリと光る、そんな風景が目に浮かびます。
続いて、美しい春の歌が続きます。その中からすみれの歌を三首。
春の野に すみれ摘みにと こしわれそ 野をなつかしみ 一夜寝にける 万葉集巻八 1424 山部赤人
春の野にすみれを摘もうとして来た私は、野があまりに懐かしいので、ひと夜寝てしまったことだ。
すみれは食用・薬用・摺用にもなります。赤人は何のためにすみれを摘もうとしたのでしょうか。すみれの可憐さ美しさを観賞するためか、それとも上述の用途のためか。目的がどうであれ、すみれが可憐で美しいことに変わりはありませんね。官人としての生活・生活する人としての日常とは違う「気配」が、「野」にはあります。そんな「野」でひと夜過ごす心を大事にしたい(実際には寒くて野で寝ることなど出来ないだろうと思うのですがそれは現代の軟弱な感想なのでしょうか)、それが赤人という人の個性だったのだと思います。小さなすみれの花の中にも外にも広がる大きな自然の気配、その自然の中であるべき自分自身を解放する赤人、いい歌ですね。
山吹の 咲きたる野辺の つぼすみれ この春の雨に 盛りなりけり 万葉集巻八 1444 高田女王
訳の必要もないわかりやすい歌。山吹の黄色が鮮やかな野辺、煙る雨の落ちる先の地面に目をやると、小さなつぼすみれが沢山咲いています。つぼすみれは白い五弁花に濃い紫色のすじが通っていて葉はハート型。雨の雫を受けながら可憐に春の訪れを告げています。美しい一幅の絵が浮かび上がります。高田女王は、家持と深い信頼感で結ばれ防人の歌の記録に力を尽くした今城王(大原今城)への恋の歌でこのブログでも簡単に取り上げました。
高田女王の今城王への恋の歌6首(万葉集巻四 537〜542)は、どれも強い恋心をまっすぐに伝えています。この「つぼすみれ」の歌からも彼女のまっすぐな個性を感じます。
万葉集巻八は、春の雑歌で始まり、春の相聞へと移っていきます。その始めが、大伴家持が坂上大嬢に贈った撫子の歌(1448)です。
その次の歌1449は、異母姉の大伴田村大嬢から、坂上大嬢に贈られた歌です。
茅花(ちばな)抜く 浅茅(あさじ)が原の つぼすみれ いま盛りなり わが恋ふらくは 1449 大伴田村大嬢
茅花を抜いて食べる浅茅の原に生えるつぼすみれは、いま花盛りです。私のお逢いしたく思うこともまた〜〜。
この当時は父が同じでも、母が違うと「きょうだい」という意識はあまりなかったのではないか、と、(勝手に)思うのですが、異母姉妹であるこの二人はとても仲が良かったようですね。どのような関係だったのか・・・大嬢の母の大伴坂上郎女の歌、情(こころ)ぐきものにそありける春霞たなびく時に恋の繁(しげ)きは (春霞のたなびく時に恋心がしきりなのは、霞にこもるようにうっとおしいことだ。) が次に続くだけに、色々想像が膨らみます。
万葉集で、すみれが歌われるのは、大きく飛んで巻十七です。越中国で大病から立ち直った大伴家持が、大伴池主との歌の贈答を繰り返している中、天平19年旧暦3月5日に、池主が家持に贈った長歌の中に「すみれを摘む少女たち」が登場します。このすみれは実用的な目的のために摘まれているのでしょうか。大伴池主についてはこのブログで何回も取り上げました。
こうして並べてみると、「赤人」のすみれを摘む歌に始まった後、高田女王(大原今城の想い人)、坂上大嬢(家持の想い人)、そして最後に大伴池主と、大伴家持と深い関係を持った人々が浮かび上がってきます。この編集は意図的なものなのか偶然なのか。
想像はどんどん広がっていきます。
2021・3・17(旧暦2月5日)すみれの花は種類も多く、花の咲く期間も長いので、春の始まりから終わりまでのどの時にも登場します。すみれの花の咲く時期は、梅、桃、山吹、桜などの多くの花も咲き誇ります。地上に慎ましやかに咲くすみれの花の可憐さと大伴家持をめぐる人々が図らずも繋がり不思議な気持ちになりました。
追記)趣味の園芸で万葉の花最終回「すみれ」が放映されました。