社会をまなぶ

メルケルが残したもの  BS世界のドキュメンタリー

BS世界のドキュメンタリー、今晩はドイツの首相アンゲラ・メルケルさんを取り上げていました。様々な素晴らしいメッセージで強く印象に残る指導者です。

 

2021年夏、アンゲラ・メルケルは別れの挨拶をするためにヨーロッパの国を訪れました。エリザベス女王がメルケル首相を迎えるシーンから番組は始まります。この二人の共通点は、洋服の色合い・精神的な安定感・少しゆっくりした話し方・尊敬される存在・・・。

東ドイツ出身の女性物理学者が、何故4期連続首相に選ばれ、ヨーロッパの顔となったのか?彼女はギリシャの経済危機には頑なな姿勢を貫く一方で数百万人の難民に手を差し伸べました。流れに逆らわなくてはならないこともあります。ヴィジョンがなければ国をリードできません。

長年にわたり取材を続けてきたマリオン・ヴァン・ランテルゲム(ジャーナリスト)にとって、メルケルは掴みきれない人なのだそうです。メルケルは私生活を一切明かしません。「どんな色が好きか?」ということさえ「政治的解釈をされる」という理由で明らかにされません。「アンゲラ・メルケルが人とこれほど違うのは何故?」と問い続け、彼女をよく知る人に話を聞いてまわりこの作品が出来上がりました。

メルケルの父牧師のホルスト・カスナーは、第二次大戦後分断されたドイツの東側(共産圏)を選択し移住しました。地方の町テンプリンで、彼女は、牧師養成学校の教員の父の影響を受け、幸せな少女時代を送りました。学校で最も優秀な生徒の一人、特に彼女が突出していたのは「考える力」だったのです。穏やかな田舎の秀才だった彼女は、ライプチヒで大学生活を送るようになり、東ドイツの暗い現実を知ります。秘密警察シュタージュが監視しているため何事にも用心しなければなりませんでした。国がプロパガンダを押し付けることのできない物理と化学を専攻します。

やがて結婚、離婚しますが旧姓には戻りませんでした。1971年東ベルリンで研究者として勤務、テンプリン通りにあるアパートで現在の夫であるヨアヒム・ザウアーと暮らし始めます。当時の同僚である友人ミヒャエル・シントヘルムは語ります。「当時はプライベートな話をするとき、安全のため、公共の場は避けます。いつかは向こう側に行きたいと思っていましたが、東ドイツの終焉までそれが現実になるとは想像もできませんでした。」

1989年秋 アンゲラ・メルケル35歳の時、ベルリンの壁は崩壊します。彼女は「政治に興味を駆り立てられた」と量子化学の研究を終わりにします。彼女は「民主主義の出発党」に入り、西ドイツから送られてきたP Cを使いこなすなど、党になくてはならない人材となりました。党のトップが東ドイツの秘密警察シュタージュの一員だったと分かったとき、党は大混乱、この危機に彼女は常に落ち着いた態度で対応しました。党は、「東ドイツキリスト教民主同盟」に統合され、民主的な選挙の元、東ドイツ最後の首相に選出されたのがノタール・ジェメジエール。アンゲラ・メルケルは、党の副報道官となり、高く評価されました。

ドイツが再統一された頃、映画監督ホルカー・シュゲンドルフは、メルケルと出会います。「東から来た人たちは自分たちの国の方がモラルが高かったよい国だったと言いましたが、メルケルは東側の長所と短所を冷静に理解していました」と語ります。

統一後初の選挙で、アンゲラ・メルケルは「キリスト教民主同盟」から、連邦議員選挙に出馬、選挙区の漁師たちと話します。その当時の漁師は「彼女は事実に基づいて話をし、傲慢ではありませんでした。わかりましたと言いましたが何も約束はしませんでした。」それでも人々を納得させることができたのです。彼女は、大言壮語を語ることなく、できない約束をすることなく、当選、連邦議会の議員となり、「連邦女性青少年大臣」に任命されます。男女同権に関しては東ドイツの方が進んでいたので、東ドイツ出身の女性である彼女はうってつけです。

1991年新政府は、「東ドイツ出身」と「女性」にポストを一つずつ出す必要があり、彼女を選ぶことでそれを一つにするという酷い扱いをします。また、ジャーナリズムも彼女の容姿や服装ばかりを話題にするというひどい扱いをします。当時のコール首相はもちろん、誰も彼女を有望視はしていませんでした。

しかし、女性写真家ヘルリン・デ・ケルブルはアンゲラ・メルケルの可能性に気づき、8年にわたり年に1回写真を撮影する契約を結び実際に写真を撮り続けます。1991年当時内気で控えめ、ぎこちなさがありながら強い存在感を醸し出す写真がスタートです。1998年にメルケルに大きな変化が見て取れます。両手の指先でひし形を作るジェスチャーから、自然と姿勢がよく見え、彼女の自信を表しています。

その1998年、コール首相のもと、選挙に敗れた「キリスト教民主同盟(チェー・デー・ウー)」の幹事長に選ばれたメルケルの目つきにも変化が現れました。コール名誉党首のヤミ献金疑惑が起こり、メルケルは、誰にも相談せず、主要日刊紙の一面に暗にコール追放を呼びかける論説を寄稿しました。「罪を犯した人間が中央の座にいることは許されません」というメルケルに、ヘルムート・コールは辞任を余儀なくされました。強烈な打撃に見舞われた「キリスト教民主同盟」でした。アンゲラ・メルケルは見事な手を指し続け、最大野党の党首の座をショイブレから引き継ぎます。「信頼」はメルケルの戦略の重大な要素です。

男性社会でトップに立つために、二人の女性を側近とし(ベアトバウマンはスピーチライター、エーファ・クリスチャンセンは報道官として)ます。3人はガールズキャンプと呼ばれました。ドイツに限らず世の中は男性社会です。だから彼女は側近を女性で固めました。自身をフェミニストだとはいいませんでしたが、男女同権の政策を推進していきます。

5年後、2005年、選挙に勝ったものの過半数を得られなかったメルケルは、テレビでの党首討論会に出席します。それまでの首相、選挙で2位に甘んじた社会民主党の党首であるシュレーダーは「メルケル女史が首相になるというのはできるという前提です。話しているのは首相というポストだ。党首など単純なポストではない」と討論会で語ります。メルケルは挑発には乗らず終始穏やかに接し、「勝者のようなあなたの言い方に少し驚いています、あなたは勝利していない、これは確かです」と発言します。

落ち着いた態度(「静かにすれば救われ、信頼すれば力を得る」という聖書の言葉が支えになっています)を続けたメルケルは、2ヶ月後、51歳のメルケルは首相に選ばれ、シュレイダーは政界を引退しました。しかし他の指導者と違って、首相任命式に、夫も、親も出席しませんでした。父から「勤勉・道徳・質素」という価値観を身を以て示された彼女は首相になっても質素な生活スタイルを変えず、週末は夫と静かに暮らしました。

イギリスの元首相トニー・ブレア(労働党)は、静かな威厳を感じさせる彼女を高く評価しました。ロシアの大統領プーチンと面会した時、プーチンは彼女を見くびり、犬の苦手なメルケルの近くに自分の愛犬のラブラドールを近づけました。彼女は耐え、「彼の人となりはKGBの思想そのものだ」と側近に語りましたが、プーチンは彼女を見直すことになります。

2008年9月リーマン危機の下、元フランス大統領サルコジは素早い対応を求めましたがアンゲラ・メルケルは動きませんでした。彼女は金融危機に取り組むためのファンドへの寄金を断固として反対しました。その数ヶ月後ギリシャ危機が起こります。彼女には駆け引きの余地はありませんでした。その頑なさと倫理観は裏目にで、ヒトラーに似せられて風刺されるなどの批判に晒されました。しかし、彼女は「私は東ドイツの出身だから見にしみて分かっている。報道の自由・デモを行う自由・民主主義の価値をよく理解している」と毅然として語り、意に介しませんでした。ギリシャ危機という緊急事態への慎重な態度は、ギリシャに大きな犠牲を強い、彼女への反対票も増えます。

2011年、福島の原発事故を受け、一晩で国内の原子力発電所の閉鎖を決断。

2015年には国境を閉鎖しないと決め、シリア難民が徒歩でドイツに向かいました。他のヨーロッパの諸国が難民を拒否する中、彼女は数百万人の難民に手を差し伸べました。それに反対する人々の「メルケル辞めろ!」のデモに対して「緊急時に人に優しくしたことで謝らなければならないのならここは私の国ではありません」「互いを信じあって、この危機を乗り越えよう」と語りました。

メルケル4期目、フランス大統領は改革派エマニエル・マクロンです。2020年新型コロナウィルルス感染拡大の中、二人は歴史的規模のヨーロッパ復興計画を立ち上げ、投資を行います。メルケルは進化し続けているのです。

16年間危機への対応を迫られたメルケルに対し、サルコジ仏元大統領は「実直で信頼できる人です」ブレア元首相は「メルケル後が心配」と語られます。人気絶頂の中で、自分の意思で、権力の座から降りた彼女は自由に生きようとしています。「ふたたび興味深い選択をして私たちを驚かすでしょう」と古い友は語ります。

フランスMagneto・2021年制作のドキュメンタリー。メルケルという稀代の政治家についてわかりやすく説明してくれていました。

 

コロナ感染下で、国境封鎖を行った2020年3月、人々に「民主主義国家だから政治的決定は透明性を持ち、詳しく説明されなければならない」と前置きし、「一人一人に何ができるのかを説明したい」と語り掛けた彼女の言葉は信頼できるものでした。当時の日本の安倍首相が、同様の言葉を発しながら実際のところは「不透明な政治的決定」を繰り返し「説明を拒否する」のとは対照的でした。

これまでと同様、今後のメルケルさんからも目が離せませんね。

2021・12・7(火)

 

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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