玉柏 茂りにけりな 五月雨に 葉守の神の 標はふるまで
(たまがしわ しげりにけりな さみだれに はもりのかみの しめはうるまで)
藤原基俊(新古今和歌集・夏)
みごとな柏の木は、降り続く雨に、茂りに繁ったものだ。
葉を守る神が結界を張ったかのように見えるまで。
初夏の雨の日にぴったりの歌として友達からおくられてきた歌。この時期の雨は慈みの雨。
(これは我が家の近くの柏木)
葉守の神とは樹木を守護する神。柏の木に宿るといいます。
『枕草子』に「柏木いとをかし。葉守の神のいますらんもかしこし。(柏の木はとても素晴らしい。葉守の神様がいらっしゃるのも畏れ多い。)」という一文もあります。
柏木といえば『源氏物語』の重要な登場人物の名前でもありますね。
まだ10代の光源氏は、義母藤壺に横恋慕して、不義の子冷泉帝が誕生します。30年の時が経って、因果は巡る…光源氏は父桐壺帝と同じ立場に立つことになります。若き貴公子柏木が、光源氏の正妻である三の宮に横恋慕して不義の子薫が誕生するのです。
光源氏の父桐壺帝は、事実を知ってか知らぬか、光源氏を責める事はありませんでした。しかし光源氏は「俺は知っているぞ」と柏木に脅しをかけます。柏木は病に伏してあえなく病死してしまいます。
柏木には落葉の宮という妻がいました。亡き柏木への思いに沈む落葉の宮を見舞う夕霧(光源氏の一人息子です)はそのゆかしい暮らしぶりに心をうたれ求愛の歌を送ります。
夕霧から落葉の君への歌、
ことならば馴らしの枝にならさなむ葉守の神の許しありきと
(できるならば連理の枝のようになりたいものだなあ。葉守の神がお許しになったという気持ちでお互いにゆるしあいたいものですね。)
落葉の君から夕霧への返歌。
柏木に 葉守の神は まさずとも ひとならすべき 宿の梢か
(柏の木に葉守の神はいらっしゃらないとしても、他の人をならして良いこの宿の梢でございましょうか。)…落葉の君の答えはno…
紫式部は清少納言の書いた『枕草子』を読んでいたのでしょうね。清少納言が褒め称えた「葉守のいらっしゃる柏木」から転じて、「葉守の神のいらっしゃらない柏木」を、この情けないといえば情けない、弱いといえば弱い、しかし源氏への痛烈な批判を体現した男性を象徴するものとして選んだのでしょうね。どこまでも、清少納言にライバル心を失わない紫式部、おそるべし(私の勝手な推測です)。
柏の木について調べてみると、元々は、ヒノキ科の針葉樹が柏と呼ばれていたとのことです。しかし、葉守の神の宿る木としては、いま私たちの知っている柏の木(オーク)の方がぴったりのように感じます。落葉樹でありながら新しい葉が生えてくるまで古い葉が落ちずに残り、新しい葉は古い葉を惜しむかのように良い香りを漂わせます。
『源氏物語』の中の「柏木」は、次の葉である「不義の子」が産まれるとすぐに命を落としました。そうして生まれた新しい命は、芳しい香りを発する男性として描かれ、「薫」と人々から呼ばれるようになり、光源氏亡き後の物語の主人公となります。柏の木に宿る葉守の神は新しい命の物語を次に展開させていくのです。
2020皐月22日