自分と向き合う技術

映画 魂のまなざし(ヘレン・シャルフベック)

8月盛夏、今年も例年に増して暑い毎日が続きます。

大阪テアトルで上映していた「魂のまなざし」を観に行きました。梅田の街は夏休み風景、様々な年齢の人々が暑い中闊歩していました。

フィンランドの国民的画家ヘレン・シャルフベックは1862年に生まれ1946年に亡くなりました。私からするとひいおばあちゃん世代になります。ロシア帝国の支配下にあったフィンランドに生まれた彼女は、3歳の時に事故にあい左足が不自由となり、学校に通うことができませんでした。家庭教師から学ぶうち11歳の時に絵の才能を見いだされ、18歳で奨学金を得て、パリに渡り最先端の美術を体験しました。マネやセザンヌ、ホイッスラーらの強い影響を受け、フランス・ブルターニュ地方やイギリス・コーンウォール地方なども旅することで、芸術観を大きく広げ、フィンランドに戻りヘルシンキの素描学校で教鞭を執るものの病気がちで職を辞し、療養もかねて母親と転居したヒュヴィンカーに15年間とどまりながら制作を続けていました。1914年には第一次世界大戦が勃発しました。

映画は、このヒュヴィンガーという田舎で絵を描き続けていた彼女が、53歳の時、1915年から始まります。画商のヨースタ・ステンマンが、エイナル・ロイターという森林保護官でアマチュア画家の青年と訪ねて来て、ヘレンの圧倒的な才能に驚嘆し、159枚の絵を全て買い上げ、ヘルシンキで個展を開催しました。ヘレン53歳の出来事です。彼女の絵は高い値段で売れるようになりました。

ヘレンの絵が売れても、その代金は家長である兄の元にいくのが当たり前。一緒に暮らす高齢の母は、何事も兄が一番、娘ヘレンには服従を強います。彼女は「私の描いた絵。私のお金。」と自分を主張します。1917年ロシア革命が起こったのを機に、フィンランドは独立を宣言しますが内戦状態となります。社会の変化とともに女性たちが権利を求める動きも活発になり、ヘレンの親友ヴェスターもその運動に関わっていきます。

ヘレンは経済的、社会的に成功します。そして彼女の熱狂的なファンである19歳年下のエイナル・ロイターに心惹かれ、彼の別荘で一夏を共にし、彼に自身の経験した素晴らしい体験、パリ留学を奨めます。

エイナルのパリからの手紙で、彼が婚約したことを知った彼女は病に倒れ、苦しみます。のたうちまわる彼女は創作から遠のきます。しかし何年か経って立ち上がった彼女の手からは傑作が次々と産み出されていきます。そして映画ではエイナルはただ可愛いだけの婚約者に飽きたならさを覚え、ヘレンにこぼしたりもしています(いい気なものです)。

報われない愛に苦しむ思い、愛憎半ばする肉親との関係、が、美しい風景、美しい友情とともに描かれます。産み出される素晴らしい絵画たちは、紛れもなく彼女の血と涙の結晶だと思えました。

映画は説明をできるだけ省き、淡々と、ヘレンの報われない愛に焦点を当てて描かれており、この映画を観ただけでは理解できない部分もたくさんあります。だからこそ、一人の人間としての彼女の苦悩が普遍的なものとして私たちに伝わってくるように感じました。

フィンランドでは国民的画家としてその誕生日が絵画芸術を祝う国民の日に制定されているそうです(そういえば日本には芸術を祝う国民の日ってないですね・・・11月3日文化の日くらいか)。誰もが知っている画家だからこそ、細かな説明抜きのこの映画こそ受け入れられ、大ヒットしたのでしょう。

日本では2015年に彼女の展覧会が開かれています。残念ながら西日本にはこなかった展覧会です。この映画を機に再度彼女の展覧会が開かれたらいいなと思います。

ものを見るまなざしの中にどれだけ自分自身の魂が込められているのか。

それは画家であれ作家であれ、、市井のひとりであれ、強く問われるところだと思います。まなざしは得てして曇りやすく、うつろいやすく、歪みやすい。

彼女のまなざしがどのように魂を得たのかを知る、この映画は一つの入口になった、と思います。もう少しこの画家について学んでいきたいと思いました。

2022・8・梅田ロフト地下の映画館テアトル梅田が閉館と知りました。とてもとても残念です。

 

 

 

 

 

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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