日本を学ぶ

映画)『怪物』と『悪は存在しない』

最近映画を2本続けてみました。

桑原智子さんの講座「令和型不登校をめぐって」(6月1日とても面白かったです)を受講した際に、『怪物』を勧められました。ちょうどWOWOWで録画していたので、すぐに観ました。

予告編では安藤サクラさん演ずる母親がモンスターペアレント?のように感じていましたが、映画が始まってみると、学校の先生たちがとんでもない、、、と思うとまた違う視点に、、、。視点が変わると状況が大きく変わる、つまり、見かたを変えたら誰も悪くないのだ、という映画だと感じ、一面的に人を断罪することの恐ろしさを強く感じました。演じている俳優さんたちが、それぞれにそれぞれの場面で、不気味さと優しさと残酷さと苦しさとを、湛えていました。しかし、主題はそれだけではなく、、、。

最後の子どもたちの行方がとてもとても気になりました。彼らはこの世にいるのかいないのか?彼らの生きる場所はあるのかないのか?

https://gaga.ne.jp/kaibutsu-movie/

第76回カンヌ映画祭において、脚本賞、クィア・パルム賞を受賞したこの映画の脚本を書いた坂元裕二さんは「世の中には被害者の物語が溢れているが、加害者の物語はどんどんなくなり、むしろ描くことが困難になってきている。そのなかでどうすれば自分が加害者になって、お客さんに加害者の主観を体験してもらうことができるのかをずっと考えてきた」と述べています。

そうか、視点を変えることで、「悪い人はいない」ということもできるし、「皆が加害者だ」ということもできる。

また、坂元さんは、「私たちは生きている上で、どうしても他者同士お互いに見えていないものがある、それを理解し合っていかなければならない時に直面した場合どういったことが起こるのか、そしてどうすればいいのか、その複雑さを表現するにはどうすればいいのか、長い間苦しみ悩みながら脚本を書きました」とも言っています。

教師と母親は、最後に、理解し合うことができたのか?

少年たちの関係を、LGBTQと決めてしまっていいのか?

(是枝監督はこの少年二人に、銀河鉄道の夜を重ね合わせたそうです。映画祭の後の是枝監督の発言「この映画は(LGBTQに)特化した映画ではない」が炎上しているということも後で知りました。)

いろいろ疑問がわきます。いろいろな意見を聞きたいと思います。

この映画を見た後に、「悪は存在しない」を観ました。これは大阪十三の映画館で。この映画も「見方を変えたら悪い人はいない」という映画なのかな、と思いながら観ていました。音楽によってざわつく深い森と、穏やかな人々の暮らし、それを脅かす人の登場、心の変化、が、丁寧で自然なセリフのやりとりで表現されます。そして最後のシーンが本当に衝撃的で、終わった後、しばらく声も出ず、立つこともままならなかったです。

「これは君の話になる」とのポスターの言葉が印象的でしたが、つまり、結末はそれぞれで考えなさいということなのか。

主人公の最後の行動は一体何なのか?

私は、単純に、みんなに生きていてもらいたいです。でも、そういうわけにはいかないのでしょう。

第80回ヴェネチア映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞したこの映画についてもいろいろな意見を聞きたいと思いました。何人かの友人と話しました。皆、困惑したといいます。自分の考えや、友達の考えを、語ってくれました。もっといろいろな意見を聞きたいです。

https://aku.incline.life/

 

2022年水無月 映画を見る前に神戸女学院のヴォーリズ建築見学に行きました。素敵な校舎でした。

内田樹さんが、神戸女学院大学の教授であった時、大学の財政再建が問題となり、某シンクタンクに再建案を依頼したところ、「地価の高いうちにキャンパスを売り払い移転する、維持費がかかるだけの古い建物は無価値でドブにお金を捨てるようなものである(から壊して新しいものにする)」という案が出されたそうです。

ビジネスマンの案は間違っている、と思いながら内田さんは建物の価値を表す言葉を探し続けました。その答えが出たのが阪神淡路大震災の後のことだったといいます。復旧作業の必要に駆られ、ヴォーリズ設計の建物を一部屋一部屋全部回ることになって建物の秘密が明らかになります。以下、内田さんの言葉。

「一部屋ごとに設計がちがう、隠し廊下があり、隠し階段があり、隠し扉がある。その薄暗がりが、開けて見える初めての眺望がある。それ自体が、学びの素晴らしい隠喩なのだ。ある境地に達したときにだけ手をかけられるドアノブがあり、開ける扉があり、それらすべては、知りたい欲求を持って実際そこに足を運び、身を投じ、扉を叩いた者にだけ許される。」

「生きている者たちはみな、死んだ者たちに支えられて生きている。それは比喩ではない。何かを変えるときは、死者たちも含めて話し合うような態度が、本当に真摯というものだろう。」

『怪物』も『悪は存在しない』も、どちらも、「死者たちも含めて話し合っている」映画だったように感じます。主人公たちが死んだかどうかが問題ではなく、「死」の積み重ねの上にわたしたちの生活があり、意識があり、変化があるのだ、と感じました。

2024年6月12日

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たつこ
たつこ
今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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