社会をまなぶ

荒野に希望の灯をともす 医師・中村哲 現地活動35年の軌跡

2019年12月4日中村哲さんは、アフガニスタンの東部宿舎を出発して、25キロほど離れた用水施設の工事現場に向かうため、ジャララバード市内を車で移動中に、何者かに銃撃を受け亡くなりました。同乗していたアフガン人5人も犠牲になりました。

同日発行されたペシャワール会報No.142に投稿された中村哲さんの記事の題は「凄まじい温暖化の影響〜とまれ、この仕事が新たな世界に通ずることを祈り、来たる年も力を尽くしたい」です。

この投稿には、農地が復活した中村さんたちの作業地が、住みやすい場所になっており、バザールが立ち並んで大混雑になっている様子、しかし、中村さんが、水の仕事を始めてから19年、干ばつが確実に進行し、アフガニスタン国土を破壊している様子が書かれています。

『それでも依然として、「テロとの戦い」と拳を振り上げ、「経済力さえつけば」と札束が舞う世界は、砂漠以上に危険で面妖なものに移ります。こうして温暖化も進み、世界がゴミの山になり、人の心も荒れていくのでしょう。一つの時代が終わりました。とまれ、この仕事が新たな世界に通ずることを祈り、真っ白に砕け散るクナール川の、はつらつたる清流を胸に、来たる年も力を尽くしたいと思います。』

と結ばれたこの文章が中村さんが私たち日本人に語りかける言葉の最後となりました。

今日は、吹田市立平和祈念資料館の映画会で、ドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす〜医師・中村哲 現地活動35年の軌跡』を観ました。言葉にならない強い感銘を受けました。

https://www.youtube.com/watch?v=rgc3pSFiZ8s

「医師として人の命を守るためにやるべきことは、「治療」以前のこと。安定した「食事」ができるように、そのために農業を取り戻さなければならない」と戦争と干ばつに苦しむアフガニスタンで、2000年から井戸を掘り始めた中村哲医師。その時の格闘の様子が『医者、井戸を掘る』という本に書かれています。2002年第45回日本ジャーナリスト会議賞、第7回平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞し、中学高校の国語の教科書にも掲載されました。https://sekifusha.com/362

中村さんたちが掘っている井戸は「涸れる井戸」で、涸れた後自分たちで再生できるようにしなければならない、とこの本の巻末に書かれています。そして翌年から、干ばつは更に厳しくなり、人々が村を棄て難民にならざるを得なくなりました。その中で、中村さんは「用水路」を掘ることを決意します。雪解け水の流入や集中豪雨のたびに、鉄砲水を引き起こし氾濫するクナール川に「用水路」を建設し、川の水を溢水させること無く分散させ、貴重な水を無駄なく農業用水に転用させようとしたのです。誰もが無理だと思ったこの「緑の大地計画」をやり遂げる経過を描いたのが、このドキュメンタリー映画です。

2002年12月27日中村さんの次男は脳腫瘍のために10歳で昇天。翌朝、冬枯れの樹々の中、青葉をつけた1本の若い木「おまえと同い年だな」とよく言っていた常緑樹に目がとまった時、涙が堰を切って流れ、同時に、飢えと渇きで死んでいくアフガンの子供たちの姿がよみがえり、中村さんは、「見とれよ、おまえの弔い合戦は命がけでやってやる」と決意したそうです。また、「わが子の死に接して初めて戦火や飢餓で子を失う親の気持ちが実感できた」とも語っておられます。

2010年、苦労に苦労を重ねて作った用水路の水門が、クナール川の氾濫に飲み込まれました。どうすれば氾濫の被害を小さくできるのか・・・その時に中村さんにヒントを与えたのが、江戸時代に作られた、故郷筑後川の山田堰でした。暴れ川筑後川の水を用水路に活用し、氾濫をし少なくした、その工法は水の流れに対して斜めに大きな岩を設置していく(斜め堰)、というものでした。川から必要な水だけを水路に導き、残りは川に戻す仕掛けなのです。

「真珠(マルワリード)用水路」と名付けられたこの用水路は、更にガンベラ砂漠を貫き、27キロメートルを超えました。用水路の整備がもたらした肥沃な土地は1万6500ヘクタール(東京ドーム約3529個分)を超え、2020年現在で65万人の農民が就農しています。

食べることに困らなくなった人々に、祈りの場モスク、や、学校、を提供し、アフガニスタンの人々が自分自身で国づくりをできるように、常に考えていた中村さん。何故彼を殺す必要があったのか、と、強い怒り憤りを感じます。

吹田市立平和祈念館では2022年夏、企画展「アフガンを救う命の水〜中村哲医師の遺したもの〜」を展示し、この映画も上映されました。

https://www.city.suita.osaka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/019/521/122729183113.pdf

映画会への参加希望が多く、観ることのできなかった人が出たので(私もその中の一人です)、10月に再上映されることとなりましたが、またもや申し込み多数だったとのことです。一人でも多くの人がこのドキュメンタリー映画を観ることができたらいいですね。会場ではペシャワール会報が配布され、中村さんの遺したペシャワール会やPMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)の活動の様子、中村さんの素顔がわかる対談などを読むことができました。「実態のないものに惑わされず、身近な人や素朴な真心を大切にして欲しい」という中村さんの言葉を継承する人々の活動に深く敬意を持ちました。

中村哲医師が、「憲法9条があることで我々日本人は、アフガニスタンでも信頼され守られている」と語っておられたことを思うとき、「憲法9条」を変えようとしている力が強くなっている情勢こそが、中村哲医師を殺したのではないか、と強く感じました。著書『医者・井戸を掘る』に中村さんはこう書いておられます。「平和憲法は世界の範たる理想である。これを敢えて壊(こぼ)つはタリバンに百倍する蛮行に他ならない。〜〜幾多の試行錯誤を経て獲得した成果を〝古くさい非現実的な精神主義〟と嘲笑し、日本の魂を売り渡してはならない。戦争以上の努力を傾けて平和を守れ」。

2022・10・12(水)7時のニュースで、アフガニスタンで中村さんの功績を称える広場が完成したとありました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221012/k10013856561000.html

https://www.asahi.com/articles/ASQBD525QQBCUHBI04L.html

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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