社会をまなぶ

藤原辰史さんと木村元彦さん@隆祥館書店・ナチズムとコソボ

いやー面白かった、一方で背筋が凍った・・・。たった今終わった「隆祥館書店企画、『歴史の屑拾い』(藤原辰史)講談社・『コソボ苦闘する親米国家〜ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う〜』(木村元彦)集英社インターナショナル、発刊記念イベント第二弾」、大変濃密な時間を過ごしました。https://atta2.weblogs.jp/ryushokan/

私は残念ながらリモートでの参加でした。書店を経営する二村さんのファンで、できれば現場に行きたかったのですが、諸処の理由で家からの参加となりました。

はじめに「わかりやすくするために捨てられるものがいかに重要か」という言葉が木村さんから発せられました。それを受けて藤原さんが『歴史の屑拾い』という本を書いた動機が語られます。「見捨てられたゴミやクズやボロから歴史を見直す」という思想で『分解の哲学』という本を書いたときに、江戸時代屑拾いを仕事にした人々に注目して書いたことから、正史では闇に葬られた人=屑として捨てられた人を拾っていく歴史家になりたい、という思いが益々大きくなったのだそうです。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000369686

「学問は権力の下僕ではない」2015年7月藤原さんが中心に立ち上げた自由と平和のための京大有志の会の声明は大きな反響を産みました。https://kodomo-hou21.hatenablog.com/entry/20150719/p8

「ドイツに侵略されたポーランドで学生たちの、自由なくして学問なし、という声明とも繋がる、まさに普遍的な声明だった」と木村さん。そして木村さんは藤原さんになぜあなたは「キッチン」「トラクター」などの物を通じて歴史を書くのか、という質問をなさいます。

藤原さんはその言葉を受けて、彼が「人」ではなくて「物」を通じて歴史を描くのは、「物」は人の深層心理、思想思考を正直に反映するからである、と『トラクターの歴史』を修論にし、本にした理由を述べます。

「物」が時代を反映する例として、木村さんは、ユーゴスラビアが民族融和を軸に元気だった頃、炭鉱労働者向けに吸い口が下を向いている煙草が製造販売されたことを挙げます。手を汚して石炭を掘る、その労働をリスペクトして彼ら向けの煙草をわざわざ作る、そこに、分断ではなくお互いに尊重し合う自主自治を行う、というチトーの理想を知ることができる、というのです。

付箋だらけの『ナチスのキッチン』を手にした二村さんが「主婦」がナチスに取り込まれていく経過にショックを受けたと話されました。第一の性として男、第二の性として女(つまり男より劣る産む道具としての女)、第三の性として同性愛者(つまり不要なもの)、という区別をしていたナチスが、いかに女性の心を捉えていったのか。

主婦のマイスター制度を作ることによって、主婦に階級をつけ、エクセレントな主婦を表彰したのです。一方でアル中の女性は収容所に入れる・・・女性に、カーストをつけて、プッシュする方法。これは、大阪発祥の「国防婦人会」と似ている、社会に認められたい女性たちの気持ちをうまく利用している、と木村さん。(国防婦人会、以前このブログでも取り上げました。)

銃後の女性たち〜戦争にのめり込んだ〝普通の人々〟〜 N H Kスペシャル国防婦人会〜大日本婦人会の活動を通して、社会参加の喜びを感じていた女性たち。彼女たちに戦争は多くの悲しみと心の傷を与えます。 ...

健康な肉体を持った子どもを作り出し総統や天皇に捧げることで、女性の活躍が認められる、という図式です。それは今も変わらないかもしれません、「自分の身体は自分のもの」という概念は当たり前のことではなく、企業のために過労死するまで身体を捧げる人がいる。「言葉」も同じでしょう、「自分の言葉」がどのように使われているのか?・・・と二人(司会の二村さん合わせて三人)の会話は深まって行きます。

ヒットラーは自分の健康に細心の注意を払っていて、菜食主義者で、煙草も吸わなかった。そのことだけ取り上げたら「正しい」こと。しかし、「ナチズム」と結びついて行き着いた先が「国産の物を食べろ」という方針でした。それは「一見正しい」ことなのですが、その先にあるのはただ「国家」のためなのだという事実。これは今の日本でも行われている・・・。

『トラクターの歴史』中公新書、は藤原さんの修士論文が元になっっている本だそうです。https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/103009.html

「トラクター」という「物」の歴史から見えてくるのは「テクノロジー重視」の態度です。「ラジオ」「自動車」「トラクター」という技術の最先端にある「物」によって、人々は「娯楽」を手に入れ、「素早い移動やドライブの楽しさ」を手に入れ、「労働の軽減と質の向上」を手に入れました。ワイマール憲法下の民主的な国からなぜナチスのような政権が生まれたのか?それは人々が最新のテクノロジーに魅せられ、快適さを追うことで政治から離れていった、から。その歴史には一人一人に責任があるのだ。(藤原さん)

人間の科学技術進歩への飽くなき要求のために「お国」が莫大な人々の税金を使っている、例えばそれが原爆のような悲惨な結果を生む「物」であるにもかかわらず、進歩につながるから、と何も言わない。それは人々の罪を軽くすることには繋がらない。「物」と「言葉」は繋がっていて、例えば、ユーゴも多民族国家としてお互いをリスペクトし合っており、そのことによりリスペクトされていた、はずなのに、内戦へと突っ走っていった。そこには「ヘイトスピーチ」の繰り返しがあった。今の日本も同じ状況に向かいつつある、皆がこれまで使ってきた表現がどんどん言いづらくなっている状況がある。(藤原さん)

その例として漫画『美味しんぼ』の話題となりました。2016年「福島の真実編」で福島原発構内など福島県内を取材した主人公が被爆の影響で鼻血を出す、と描いたことによって批判を受けました。以後連載を休止、終了した(原作の雁屋さんはこの批判が理由ではない、と述べておられますが)『美味しんぼ』は、現在絶版となっており、本屋さんに並ぶことはないそうです。二村さんは小学館に重版の交渉をしているそうです。「何冊買ったら重版できますか?」という二村さんの覚悟は凄いです。まさに闘う本屋。

『美味しんぼ』の親子対決の話になりました。フランスから帰国したグルメの文化人に何を食べさせるか?子どもの山岡チームは「こんなフレンチ食べたことない」と言わせた素晴らしいフランス料理、親の貝原チームは「ちょうどいい塩梅に冷やしたきゅうり一本と味噌」。飛行機からおりたところでこってりした料理に飽き飽きしている一方お腹を空かせているこの人に何が美味しいのか?「食べ物は文脈だ」という主張。・・・実はこの文化人は「もうフランスに戻りたくない」と思っていたそうです。しかし美味しいきゅうりを食べて、自分のルールは日本にあったと確認できてフランスに帰っていったのです。究極のもてなし、は相手に対するリスペクトから生じるのです。

その対極にあるのが、人体実験です。『ナチスのキッチン』にも描かれていますがエルスち・ギルターシェンクは、囚人を使って人はどこまでもつのかという実験をしました。メンゲルは子どもに初め優しく接し、信頼させてから人体実験を行いました。日本の731部隊も酷い人体実験を行いました。「人体実験をしてもいい人間のカテゴリー」を作ることで「動物実験」で得られるよりはるかに精密な結果を手に入れることができるのです。

また、公開されていませんが、「ベンツ」「クルップ」などの大企業が「人間以下の人間」を労働者として使い捨てた工場跡がアウシュビッツにはあります。それが「公開されない」ことの意味は大きい。しかし一方、「ベンツ」「クルップ」とも「文書館」を持っていて、自身に都合の悪い資料も隠さず公開している、という事実もあり、これは大半の日本企業より進んでいる。

コソボで、同様のことが進行している様子が『コソボ苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』に描かれています。アメリカがテロリスト・コソボ解放軍政権を支持することで、極右のアルバニア人たちが、マイノリティのセルビア人を誘拐拉致し、「黄色い家」と名付けられた場所で殺害し、その臓器を販売しているという事実です。現在のコソボ政権を承認していない国が世界には多いのですが、残念なことにアメリカべったりの日本は承認しています。

旧ユーゴの女性検事がこの事実を告発しましたが、アメリカは動きません。「黄色い家」では、拉致された人々は、栄養価の高い食事をとらされ、太らされ、生きながらにして臓器を取り出されて、殺されていったのです。その数3000人といわれます。

「ナチズムを過去のこととして研究していたのは間違いだった」と藤原さん、「ナチズムは過去のことではない。現在も進行していて、大きな力が隠そうとしている。その現場までたどり着く力は一匹狼のジャーナリストにしかなかった、木村さんはよく無事に日本に帰ってきはったと思う。」

「私たち日本人が憧れの眼差しを向けていた欧米諸国の背後にある事実が、ユーゴスラビアと欧米との関係からよく見える」「コソボにはクリントン通りというのがあって、クリントン元大統領は英雄になっているが、自由の国アメリカの暗い歴史がそこにはある」と木村さん。

今私たちは「ウクライナ侵攻」といってロシアを責めるが、「イラク侵攻」とはいわない。イラクには大量破壊兵器はなかったのにNATOはイラクを爆撃した、それを「イラク戦争」と呼ぶのはなぜか?プーチンが正しいとは思っていない、しかしNATOは本当に正義の味方なのか?今、NATOは東京に事務所を作ろうとしている。NATOの暗い歴史を西側メディアは伝えない、そもそも取材にも行かない。ヨーロッパにおいて、ユーゴスラビア・セルビアの空爆に対して反対した党が逆にバッシングを受けたという事実をどう受け止めるのか。セルビアをリトルロシアとよんで批判、国連も非難決議を出していて、セルビア悪玉、NATO善玉、という構図ができているが、本当にそうなのか?その土地に住んでいる人を主語にして、NATOのやったことをちゃんとみていく必要があるのです。

時間があっという間に経ちました。

質疑応答では「今の日本の状況について一言ください」という質問が出ました。

木村さん、「安倍首相時代に霞が関は官邸に牛耳られ、政権の顔色を伺うようになった。それがメデイア、外交、教育にまで広がっている。NATOとの接近はとても危険なことだ。」

藤原さん、「憲法改正しないまま、敵基地攻撃能力を認めようとしている現在、またもや沖縄など南西諸島を盾にしようとする危惧が深まった。歴史を見ない政党が、学校給食無償化、とか、女性子どもの生きやすい社会、とか叫んで、ナチと同じ手法をとって支持されている。高校までの教育無償化よりも、ひとクラスの人数を減らす、というような根本的な改革が必要なのは明らかなのに。誰のための無償化か、そこに何が隠されているか、を、注視する必要がある。」

隆祥館書店さん、ありがとうございました。改めて「ナチズム」について「ユーゴスラビアの分裂」について学ぶことの意義を思いました。お二人の著書をもっと読み進めていこうと思いました。

2023・5・28(日)

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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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