NHKラジオ『王朝日記の世界〜前・電気通信大学教授 島内景二さん』が面白い、と以前ブログで取り上げました。10月24日(土)で終了しましたが、まだ、らじるらじるで聞ける部分が残っており、それが、さらにとても面白いのです!!
それは、第25回「『更級日記』と『源氏物語』」(12月14日まで)・第26回「菅原孝標娘と『夜の寝覚め』」(12月21日まで)・第27回「菅原孝標娘と『浜松中納言物語』」(12月28日まで)・第28回「『更級日記』と近現代文学」(12月28日まで)の4回分です。
第25回「『更級日記』と『源氏物語』」より〜〜〜
まさに物語の申し子であった菅原孝標娘は、今からちょうど1000年前の1020年、源氏物語が生まれて10年後、源氏物語を「読みたい読みたい」と思うのでした。そして、彼女は、昼も夜もひたすら源氏物語を読み没入することで「本来の自分・真実の自分」と出会い、「物語の本質・物語の長所(読者に夢を与える)と短所(読者の現実感覚を失わせる)」を、吸収していきます。
そして、源氏物語に惹かれる心と、源氏物語から離れて本当の自分自身を知りたいと思う心のせめぎあいを表すような夢(仏のお告げ)を見るのでした。お告げの通り、彼女は自分自身の物語(『夜の目覚め』・『浜松中納言物語』など)を作り、その後『更級日記』を書くのです。
島内さんはおっしゃいます。
「『源氏物語』は三角関係や不義密通ばかりが書いてある通俗的なストーリーで組み立てられているのです。そうでありながら、全編を通読後、まことに不思議なことですが、読者の背筋が伸びるような清潔感と倫理観に溢れています。」そして「菅原孝標娘が書いたと思われる『浜松中納言物語』は、異端の文学、霊的・怪奇の文学でありながら、自然でオーソドックスな印象を与え、それは三島由紀夫の、『金閣寺』での美との格闘・『豊饒の海』での夢と転生のドラマの、格調の高さと通じるものがある」とも。また、「『夜の寝覚め』は藤原定家に大きな影響を与え、『松浦宮物語』へと結実した」とも。
菅原孝標娘も物語作家として後世に大きな影響を与える人物となったのです。しかし彼女の真髄はやはり『更級日記』にあるのです。
『更級日記』に、大納言姫君の生まれ変わりの猫(自分を愛してくれた夫のその後を見届けようとしたが夫は姫君の亡くなった年に再婚するのです)、早死にを予感していた姉が、出産後亡くなる、という出来事があり、強い印象を私たちに与えます。『夜の寝覚め』に描かれた姉と妹のすざまじい葛藤を、更級日記の作者と姉との間に見ることもできるのではないか、という説もあるのですが、島内さんは、「そういう『空想』」の中に18歳の作者は生きていたのではないか、と考えます。
「薫に愛された浮舟になりたい」と願う菅原孝標娘は、元々の源氏物語には描かれていない事を想像力で補ったり、実際には描かかれていない事を想像する事で、物語作者になっていったのだ、と島内さんはおっしゃいます。
「光源氏のような男は現実世界にはおらず、自分が浮舟のようになることも現実には起きない」との50代の作者の述懐は、源氏物語を否定するものではないのです。人間の心の真実をピタリと表現し得ている源氏物語を読み尽くすなかで、彼女は自分自身の文体を醸成していき、さまざま物語を書いたのち、『更級日記』でその文体が確立されました。だからこそ『更級日記』における、余計なことは一切書かず言葉を絞った文体から浮かび上がる、人生に対する悲哀や悔恨、は、読者を魅了してやまないのです。〜〜〜島内景二さんの解説のことばは、鮮やかに菅原孝標娘という人物を照射し、彩っていきます。
藤原定家筆『更級日記』、現存する写本の中の最古のものです。(宮内庁所蔵)
私にとっても、若い頃、物語の世界に没入することは何よりの喜びでした。平凡な私は、「長くつ下のピッピ」にはなれないけれど「アンニカ」にはなれる、「赤毛のアン」にはなれないけれど「ダイアナ」にはなれる、と、「アンニカ」や「ダイアナ」が主人公の物語を想像し、彼女たちになりきったものでした。高校に入って授業で更級日記を丸ごと一冊読んだのですが、授業自体は全然面白くなかったです。しかし菅原孝標娘が物語に夢中になっている心には共感し、「〜べき」から離れたいけれど「〜べき」に縛られてしまう心のありようって、今と変わらないんだなあ〜と思ったものでした。
2020年12月9日(島内景二さんのラジオ番組「王朝日記の世界」は、すでに『和泉式部日記』へと移行しています。天才的な歌人、「〜べき」に縛られていないようにみえる、和泉式部もまた魅力的な人ですね。)