自分と向き合う技術

奪われた言葉を取り戻す〜児童思春期病棟の声

福岡県久留米市にあるのぞえの丘病院という精神科病院にある、子どもたち専用の児童思春期病棟。「感情障がい、愛着障がい」子どもたちの診断名は様々。ここでは自分の気持ちを言葉にすることを大切にしています。

5月12日0時からのETV特集は、「奪われた言葉」を取り戻す子どもたちを見つめた番組でした。https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/9R44G246L7/

院長回診から始まる、児童思春期病棟。入院しているのは7歳から18歳までのおよそ三十人。複雑な養育環境や、発達障がいの特性が理解されず、暴れたり自分を傷つけてしまたりして入院となった子が多いです。

「俺気持ちがあるけど先生は?」「心配なところがあるなあ」「俺も」「うん」という会話。

看護師は毎日の生活のサポートを通して子どもたちと少しずつ関係を築きます。「一人でお風呂に入れたらいいなと思って」と見守る看護師。気にかけながら・・「まず体を先に洗ってね」などと声をかけながら・・。

病棟ができたのは3年前。きっかけは母体となる精神科病院に入院する子どもが増えたことでした。決められたスケジュールに沿って1日を過ごし、小さな集団から人との関わり方を練習していく。自分や周りを傷つけてしまいそうになったら、スタッフが寄り添い思いを受け止める。退院までの目安は3ヶ月。入院が長期に及ぶと社会に戻るのが難しくなると考えるからです。

のぞえの丘病院院長 堀川直希さん、「彼らに『言葉にしてね』というのは僕らにも本当に覚悟がいるものです。『じゃあ本当に救いを求めたらあなたたちは助けてくれるの?』に対して、『僕らもちゃんとあなたたちの目線で考えていこうとしているから』と誠実に伝えていくことが、多分、心を少しずつ開いていったり、その子たちと一緒に考えていくための始まりだと思う。」

この病院で力を入れる治療は、子どもたちが自由に話し合うHR。年の近い子どもたちが集まることで普段言葉にできない気持ちを話しあうことをねらいとします。HRの約束事は、ここであった話はここ以外の場所では話さないこと、安心して話し合える場所を作るために守ってください。看護師や医師なども同席、司会の公認心理師は、子どもたちの入院した背景などを細かく把握して、それぞれの言葉を引き出します。

「言いたいことありますか?」・・・中学1年のRくん「Mくんが、部屋にまできて煽ってくる。きついから部屋にいるのにわざわざきて煽ってくる」「そういう時どうしてる?」「この前怒った」「怒ったんや」「1週間くらい我慢しとった」「怒ったらどうなる?」「ドア蹴ったら外れた」「それくらいイライラして物に当たっちゃったんだね。皆さんどうですか?そういうことある?」その司会の言葉に対して、「あるっちゃある」と別の子が「野球ボールを持ち歩いていたからそれを思い切り投げた」と言うと、Rくん「家で起こってガラス蹴ってめっちゃ血が出た。弟と喧嘩して」と言葉にしました。「弟にイライラする感じとMくんにイライライする感じと一緒かな?」「うん」「グループが苦手なRくんが自分のことを行ってくれるの嬉しいな」。

他の子も話し始めました。「イライラしたら仲直りする。寝るは以外と使える」「いろいろあった」「なんがあったと?」「言いたくない」「そうか」どんな発言も否定しないで、一人一人様々な気持ちを持っていることを知っていくのです。

別の日のHR。Tくん中学三年、ゲーム依存で課金がやめられず兄弟に暴力を振るうこともあった。「家族面談で退院しようか?と言われた時まだしないといった」とTくんが話すと、Hくんが突然「帰る」と言い出した。「今日はきつそうだね。あと10分くらいだよ」と司会者。すると「いっていいいかしらんけど」と、Tくんが「Hくんが病棟の人間関係できついと言っていたことを知らせてくれた」とHくんの気持ちを代弁してくれました。「HRはみんなの本音が聞けて、それで『確かに』と思う時もあれば『そうは思わん』と思うこともあり、また、自分やったらこうすると話すことでみんなの知識が増えるからいいなと思う」と、Hくんが語ります。

HRに取り組み始めたころ、HRは成立しなかったそうです。諦めず働きかけを続けてきたことで変化しました。司会の公認心理師稲水要さん、「言葉にできないものがいろんな行動や暴力、症状になったり、自分を傷つけたりする行為になったりする、その大もとになる気持ちを言葉にしていけたらそうならずに済むかもしれない。1対1の関係だとなかなか自分のきつさ自体が気づけなかったり何に困ってイライラしていたのか分からなかった子が、いろんな人に、例えば『親にこんな思いがあった・・』とか聞くと、『あ、アルアル』って、今まで分からなかったけれど、実は自分もそう言うところがあると言葉になったりとか」と語ります。

ナースステーションの中の観察室のベットにいた少女Kさん、通信制高校二年生。鼻から管を入れて栄養を入れて普通に過ごせる体重になって学校に戻ることを目指しています。「体型が変わることが不安」なKさんは6年この病気と闘っています。「話せる人がいなくて過食となり体重がボーンと増えてしまって、なりたい自分と折り合わず、痩せ始めて、最終的に20キロぐらいまで落ちちゃって、その繰り返し。やっとこの病院に来て抜け出せるかなと思って来た」。Kさんは、付箋に気持ちをいっぱい書き出して壁に貼っています。ここでの治療を通じて今まで気づかなかった自分の気持ちを知ったそうです。

Kさん担当の看護師が主治医からの指示を伝えます。「観察室から出て閉鎖病棟に行ってスタッフがつかずにやってみたらいいと思います。すごくない」「すごい」「不安があればそれに対してどうすればいいか考えていきましょう。コロナだから一人で食事。スタッフに気持ちを伝えることを大事にしてください」。移ってきた病棟では子ども同士で交流する時間が増えます。不安な時辛い時誰にも言わず一人で抱え込むことがKさんの課題です。「看護師になりたい。人を助けることができる安心できる人になりたい。お父さんをうつ病で亡くしているから精神科がいいかな」と突然Kさんが語り始めました。Kさんの父親は小学2年生の時自宅で亡くなったといいます。その三年後Kさんは発症しました。「父の死から発症まではずっと張り詰めていたのだろう、ずっと語られなかった父の死について語ることができたらいい」と院長は思っていました。

Kさんはその後退院し、再入院しました。それでもKさんは気持ちを言葉にすることを続けていました。「学校辞めたい」「ご飯を食べながら学校に行くって相当きつい。それができる自信がない」看護師の目からは、これまでとは違う成長をKさんに感じているとKさんに伝えます。「焦りがなくなるといい、ゆとりがあるといいなと思う」と看護師。Kさん「負け組とか勝ち組という人がいてそういう言葉が浮かんでくるときつくなっちゃう」「勝ち負けじゃないと思う。スタッフはみんなで背中を押していくから。ちゃんと支えるよ」「うん。ご飯前にノート書いとく」「昨日返事書いたよ」「めちゃ嬉しかったよ」とKさん。

これまでは言葉にならない感情を母やスタッフにぶつけてきたのですが、気持ちを言葉にすることでそのような姿は見られなくなりました。治療についてKさんは「自分一人で生きているんじゃないということがわかることだと思う。ちゃんと見てくれる人がいる間は生きていていいし、できることをしようと思う」と語ります。

一人で食べるのは不安なKさんに看護師が付き添います。退院のためには40キロを目安としています。Kさんは、完食しましたが「お腹空いていないのに食べてしまってすごくきつい」と紙に書きます。

ずっと付き添って来た看護師の小林さんが、Kさんに対してお父さんのことを聞いた。それに応じるKさん。またお父さんの話をしようね、と小林さん。・・・「お父さんから殴られたりとかしとった。お父さんと距離を感じたりゲーム依存になったりしていた。自分から殴ったり暴れたりとかじゃなくて言葉で伝えることを自分は目標にしている。お父さんも殴るとかでなく言葉で優しく伝えてほしかった」とKさん。

「希死念慮、自殺願望がある。お母さんが乳がんになっちゃってうちが帰って来ても何もしてあげられることがなくて、帰ってこなくていいみたいな感じになっちゃって。きついときは自分から話そうと言えない、話そうと言われると嬉しいけれど、死にたいなと思うときはどうせわかってくれんやん、と思ってしまう。入院前はひどかった。電話しながら高いビルの屋上に行って自殺しようとしたりとかしていた。願いが叶うとしたら、お母さんが大好きだった花、赤と青と黄色が混ざった色があってそのバラが欲しいて行ってたバラが欲しい、でもどこに売っとるかわからない」と語る中学3年の女の子。

病院では毎朝全ての部署スタッフが集まって会議を開きます。病院はある課題に直面していました。退院後の再発が多いことです。病院には退院後の生活を見据えて院内学級があります。

中学2年のAさん。生まれてすぐ乳児院、2歳から児童養護施設に入り、中学に入ってから暴れたり授業中飛び出したりすることがあり入院した。Aさんは、入院後2ヶ月経ってもHRでは全く口を開かなかった。ノートにはいっぱい書いています、それは自分の言葉。退院したら児童養護施設に帰ることになります。施設は転校を考えていたがAさんの希望は同じ学校で頑張ること。「入院後は自傷行為も暴れたりもないから施設側に認めて欲しいですね」と医師。施設の園長と話すことになったAさんは、ノートに自分の考えをびっしりノートに書いていました。「ちゃんと自分の言葉で伝えたら伝わるよ」と励ますスタッフ。その5日後、病院スタッフの立会いのもと面談があり、希望通り同じ学校に通うことになりましたが、「退院先は児童相談所の一時保護所がいい」と園長から告げられました。精神保健福祉士の古田さんは「もっと早めにわかっていたら良かったと思う。退院先を変えたいというのは施設の都合、本人の気持ちはどこにある?と感じました」Aさんは「施設は自分の家、暴れすぎてなんで暴れたんかわからんかった、言ってもわからん変わらんし教えんかった。今日施設から電話があって言っても変わらんかも知れないけど言ってね、と言われて、今ならできると思った、それで児童相談所じゃなくて施設に外泊練習をさせて欲しいと言えた」

施設で一泊したAさん。「一旦児相行って言われた。言っても変わらん。変わらん原因あるよと言われたけど、変わらんすぎ」と残念な表情。「伝えても変わらん」というAさんに「伝えることは意味がある。伝えるっているのは継続して欲しい」とスタッフ。退院の日のHR、初めて自分の話をすることができたAさんは、一時保護所は一泊だけで施設に戻れることになりました。

その後通院したAさん。「担任の先生と合わない、保健室に通っている。もう入院はしたくない」と言います。「それでいい」と看護師。

HRの風景が映し出されて番組は終わりました。自分の言葉で自分の思いを伝えることの大切さを改めて感じました。奪われた言葉が戻ってくる過程で、多くの人がその人に寄り添っていくことの大切さも感じました。そのような寄り添いの姿勢に敬意を持ちました。

たくさんの言葉が紡がれた後、その言葉が点から線に、線から面に、面から立体になっていくのだと感じます。

言葉を紡ぐ大切さはずっとわかっていて、ずっと人に勧めてきた私ですが、私自身が自分の言葉で自分の思いを伝えることは苦手です。また一方で、人が言葉を紡ぐことを妨げてきた面もあるという自覚もあります。

今、見たり聞いたりしたことを借りて自分が大切だと思うことを伝えようとしている、自分ができないことを大事だと言ったりしている、自分がいます。それでいいか、と思っています。自分の内面から本当の言葉を紡ぐことができたときに紡げばいい、大事なことはできなくても大事なんだから、と。

2022・5・17(火)今日もバラ園に行きました。よい香り美しい花々、心洗われました。

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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