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特攻〜知られざる真実 前編 海中調査で迫る最期〜

「特攻〜知られざる事実前編 海中調査で迫る最期」8月15日に放映されたものの再放送をいま観終わりました。改めて戦争の無残さ悲惨さを感じました。

1945年4月1日沖縄本島に上陸したアメリカ軍。これに対し日本軍は、4月6日279機の特攻機で攻撃、エモンズを含む3隻が沈没しました。

エモンズは偶然沖縄古宇利島近くの海中で発見されました。九州大学教授菅浩伸さんは、エモンズを調査することで、詳細の不明な特攻の実像をあぶり出そう、と調査を行ってきました。何千人もの若者の命を奪った特攻がどのように行われたか明らかにすることが、戦争の悲劇を後世に伝えるために重要だと考えます。

研究チームは7年間分析を続けてきました。1800枚の写真を元に、エモンズを3Dモデルで再現、どの方向からどんな攻撃を受けたのか、アメリカ軍の戦闘報告書(アクションリポート)とすり合わせていきました。

エモンズに激突したのは5機。まず、「4月6日5時32分船尾に突入、航行不能になった。」という記述と3Dモデル、潜水調査などから「特攻機は右側から激突し、船尾にあった武器庫が爆発したので航行不能になったのだろう」と話し合われました。2分後、2機目が側面から、船の頭脳である艦橋部分に突入、ほぼ同時に3機目が反対側に突入しただろうとわかってきました。高性能のレーダーを持っていたエモンズの迎撃をどのように特攻機はくぐり抜けたのか?エモンズの主砲の向きなどから、レーダーの死角となる低い位置から特攻機が突っ込んだことが想像できました。短時間で急所を狙った統率のとれた攻撃だったようです。4機目が船尾に、5機目が午後6時33分右前方に衝突。その後機密保持のために、エモンズはアメリカ軍自らの手で沈められました。この日の特攻でアメリカ兵369人、日本兵300人以上が死亡したとされています。

エモンズの元乗組員の最後の一人、アンソニー・エスポジトさん97歳。当時22歳1等水兵のアンソニーさんは監視の任務についていました。彼の証言は詳細です。「信じられないほど海面すれすれ(15メートルもない)に操縦者ごと次から次へと突っ込んできた特攻機に衝撃を受けた、操縦士の表情まで見えた。」意識を失ったアンソニーさんの意識が戻った時、上官が「逃げろ」と叫び、彼は救助船に乗り込みました。海面には同僚たちの遺体が浮かび辺り一面火の海となりました。特攻機のエンジンと操縦士の遺体も見たアンソニーさんは「人生はこれからという未来のある若者が自らカミカゼの操縦士になるなんて・・・恐ろしくて私は海軍を去りました」と語ります。

古宇利島、エモンズから16メートル離れた海底に、飛行機のエンジン、脚、燃料タンクが見つかりました。これは特攻した飛行機の残骸であろう、この部品たちから機種の特定ができないか、水中考古学者の片桐千亜紀さんが取り組みました。プロペラが二枚あることに注目した片桐さん、4月6日出撃した飛行機についての日本軍の記録の中から一機だけ二枚プロペラのある飛行機を発見しました。エンジンの形状、車輪を止める部品、燃料タンクが「九八直協(陸軍 九八式直接共同偵察機)」とぴったり一致しました。部品の発見された場所から4機目に突っ込んだと考えられるそうです。

防衛研究所に残る、陸軍の記録から、沖縄戦に送り込まれた特攻部隊の名前がわかりました。4月6日九八直協に乗っていたのは、陸軍、誠、第36、37、38、の三つの飛行隊でした。亡くなった誠隊の26人の名前も記されていました。福岡県筑前町にある大刀洗平和記念館に誠飛行隊の写真が残っていました。彼らの多くは元々民間から召集された飛行学校の先生たちで、軍隊とは無縁の民間人でした。戦況悪化で操縦者を要請する余裕がなくなり全国で次々と飛行学校が閉鎖されていき、仕事を失った教官の若者たちが思いもよらなかった特攻要員とされた、と尾籠浩一郎館長。

九八直協は当時すでに旧型の戦闘機で、練習機として使われており、戦闘には不向きでした。しかしこの飛行機に慣れていたというだけで彼らはこの旧型戦闘機に乗せられたのです。「陸軍にはもともと船を攻撃するノウハウはなく、しかし戦況悪化に従い、特攻作戦を行わざるを得なかった。」、知覧特攻平和会館の八巻聡学芸員はいいます。4月6日飛び立った27機の誠隊の多くはエモンズにたどり着くことも叶わなかったと考えられます。

航空戦史研究家織田祐輔さんはアメリカ海軍に残された映像を研究してきました。4月6日の映像に九八直協が映っていました。織田さんは、その飛行コースについて、迎撃を受けるリスクがありながら島上を通る直線飛行を誠隊は選択し、約半数は迎撃されたと考えています。アメリカ軍の資料には奄美大島近辺で14機迎撃したとあります。また映像資料から沖縄近辺で迎撃されている映像もあります。誠隊には撃ち返す力は全くなく、飛んで逃げるほかありません。その日、上空にかかっていた厚い雲に逃げ込み迎撃を逃れた、わずかな生き残りがエモンズに突入した、と考えられます。

非情な作戦を浮かび上がらせた多くの人々の詳細な調査への努力に頭が下がります。

ノンフィクション作家保坂正康さん。「一連の調査結果は、戦争が本質的にはより残酷なんだと知り、亡くなっていった特攻隊員の人の気持ちを追体験するための、貴重な事実を見せてくれる。3000人の若者が亡くなった特攻部隊。あの時代は変調をきたしていた。変調をきたした時この国はどういう方向に向きがちなのか。国民はほとんど政府に下駄を預けて、偏った情報のもと、偏った考え方を持ち、自己陶酔に陥っていた。かつて私たちの国にそういう時代があったことを、私たちは常に意識していかなければならない。」

2021・8・22(火)

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