社会をまなぶ

プーチンの道〜その権力の秘密に迫る~Putin’s Way

2016年12月に放映された番組の再放送が繰り返されています。「プーチンの道〜その権力の秘密に迫る」は2015年アメリカの作品です。

http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=161206

[プーチンはどのように権力の座に上り詰めたのか。ロシアはどこへ向かっているのか。]

2012年春プーチンはロシア大統領に4年ぶりに復帰し大統領の任期を6年に伸ばしました。わずか20年あまりで無職の元スパイから権力の座に上り詰めたのです。「汚職」を巧みで緻密なシステムに作り上げ、権力を掌握していった過程は、動画投稿サイトに挙げられたズイコフ氏(中佐)の動画に明らかです。この動画には、プーチンが関わっていた、職権乱用などの様々な「汚職=泥棒」が多くあげられています。カレン・ダビシャ氏は「泥棒政治」とプーチンの政治を名付けます。90年代からロシアの政治家たちは「盗み」を働いていたのです。

1991年ソビエト連邦の古い政治体制が崩壊し、KGBを辞め、市役所で働くようになったプーチンは程なく副市長に選ばれました。プーチンのKGBの一員だった過去をサンクトベテル市長のソクチャフは必要としていたのです。国営だった不動産などを「盗んだ」市長を、プーチンは守ったのです。

サンクトペテルブルグの食料不足問題の最中、プーチン副市長は「食料は間もなく届く」と公言し、市民を安心させたのですが、約束は守られませんでした。市議会議員のマリーナ・サリエ氏は調査をしましたが、この調査は生かされることはありませんでした。プーチンの署名がある様々な書類をもとにプーチンを告発しましたが、ソクチャフ市長はプーチンを守りました。ズイコフ中佐は、ツゥエンティストラストという会社に、市から莫大な金が振り込まれ、そのお金をスペインの別荘につぎ込んでいたことを確認していました。しかしプーチンは取り調べを受けることもありませんでした。そして「怪しげな会社」が作られ、ソクチャフはプーチンが用意したと思われる飛行機でパリに逃走、その後も優雅な暮らしを続けています。

「新しいロシア」のエリツィン政権もまた汚職にまみれていました。エリツィンは、プーチンに目をつけました。あまりにも無名のプーチンを人々に知らせるために、急遽プーチンの伝記が発行されることになりました。サンクトペテルブルグの貧しい地域に生まれ、16歳で地元のKGBを志願し受け入れられず、大学を卒業してから、KGB対外情報部員として16年間勤務、1991年サンクトペテルブルグで「素晴らしい」市政を担い・・・。

1994年からロシア(エリツィン政権)はチェチェンを攻撃、1996年休戦となりますが、「戦争中に選挙は行われない」としてエリツィン政権は命脈を保ちます。1996年プーチンがエリツィンに登用されたのち、モスクワなどでアパートが爆発される事件が続いて起きました。ユーリー・フェレンスキー氏は語ります。「国民が不安に陥ったとき、当時全く無名だったプーチンが『このようなテロリストを許さない』と演説、『チェチェンがこのテロを行った痕跡がある』としてチェチェンを攻撃して、国民から人気を博したのです。」

プーチンは首相となりロシアは第二次チェチェン紛争へと突入して行きます。

アパート連続爆発事件について多くのメディアが多くの疑問を投げかけてきました。これ以上首を突っ込むと刑務所に入れられるぞ、と言われながらも調査を続けた弁護士の前には現場の隠滅など多くの障害が立ちふさがりました。リャザンのアパートの地下で爆弾が発見され5回目の爆破事件は未然に塞がれましたが、その爆弾を仕掛けたのはFSBだったという証拠は動かしがたいものでした。FSBは訓練の一連だったと主張、他の爆弾事件も同じではないか、という疑問に対して政府は否定しています。アパート爆破事件を調べていた人たちは何人も亡くなっています。「ユーリ・シチェコチヒン(記者)、セルゲイ・ユチェンコフ(改革派議員)、アレキサンドル・リトビネンコ(元FSB職員)、アンナ・ポリトコフスカヤ(記者)。・・・・」

連続爆破事件はFSBの仕業でプーチンが裏にいるということをプーチン擁護派のセルゲイ・マルコフ氏(政治評論家)は否定します。策略を駆使したプロパガンダが目的のものだ、プロパガンダに惑わされてはいけない、というのです。

弁護士は、調査結果を報告する1週間前に警察に呼び止められ、警官はカバンを車に放り込まれ、そのカバンを開けて銃がある!と言われて2年間刑務所に放り込まれました。その後再度この件について発言した彼はまた2年間刑務所に入ることとなりました。

2000年プーチンは大統領に就任しました。国民は民主主義、自由に向かうと思っていました。しかしエリツィンのもとで巨大な富を築きあげた富豪たちがプーチンの元に集まりました。ロシアでは汚職は官僚が国を治めるために賄賂を贈って特権を得るロシア式のビジネスを必要としていました。富豪の一人ポドルコフスキー氏は「ロシアの汚職を柱とした体制をやめるべきだ」と発言、それに対してプーチンはポドルフスキー氏の会社ユコスに対して脅しをかけました。ポドルフスキー氏は民主化を疑っていませんでしたが、逮捕されシベリアの刑務所に10年服役、現在はスイスで亡命生活を送っています。

「全ての全体主義体制は泥棒政治と言っていいと思います」とポドルフスキー氏は語ります。

ユルゲン・ロート(ジャーナリスト)は、ドイツでマネーロンダリングを行っていたグループにプーチンが深く関わっていたと言います。シュレーダー首相はプーチンと深い関係にあり、ロシアからのパイプラインにお金をつぎ込みます。シュレイダーは批判され、退職後しますが、その後は、のうのうと恥じらいもなくそのパイプラインの会社の役員となりました。

他にもプーチンに心を惹きつけられたブッシュ、ブレア等多くの首脳たち(安倍もその一人です)・・・それは結局ロシアマネーの暗躍に繋がりました。プーチンの元ではびこる汚職を、実業家ワレーリ・モロゾフ氏は許容できずイギリスで亡命生活を送っています。実業家セルゲイ・コレフニコフ氏も同様に亡命生活を送っています。ロシアでは、大統領に贈り物をして後ろ盾になってもらうことでしか会社を運営することができませんでした。集めた金は大統領引退後の邸宅(まるで宮殿)のために調達されましたが、それはどんどん膨れ上がりました。推計400億ドルの資産を持つプーチン。

2010年から瞬く間に広がった「アラブの春」に対して、プーチンは危機感を持ちました。2011年再度ロシア大統領に立候補したプーチンに対して、ロシアでは反対運動が起こりました。2012年プーチンは大統領に復帰、任期は1期6年に延長されて、プーチンは2024年まで大統領を務めることが可能となりました。

反欧米主義を掲げ、2014年クリミア侵攻を行ったプーチン。ロシア系住民が差別されていることに断固としてノーを突きつける、という言葉に人々は賛成の手を挙げました。ヨーロッパ首脳はプーチンとの話し合いを行おうとしましたが、プーチンは暴走しました。

2014年マレーシア航空がウクライナ上空で撃墜され、西側諸国は強く反発しました。サミットでのプーチンの孤立は明らかで、サミット途中で帰国しました。「問題はプーチンが次にどう出るかです。プーチンは引き下がらない」とマイアミ大学教授は言います。「追い詰められた時のプーチンは危険です、いきなり襲いかかります」とかつてプーチン自伝を作成した女性は語ります。

この作品が放映された2016年12月、米のトランプ政権、日本の安倍政権、に対してなんじゃ?まずいんじゃないか?と思いつつ、ロシアにはそれほどの関心もなく、のんきに過ごしていた私。トランプも安倍もプーチンと仲良くて気持ち悪い、と思っていましたが、まさか今のような恐ろしい戦争が起こり、こんなに長く続くとは思ってもいませんでした。

民主主義を許さない、人々を軽視する風潮が蔓延ると、恐ろしい結果になる、ということは、人ごとではないように感じます。日本でもこの戦争に乗じて軍備を拡充しようという動きがあります。「反撃能力を保持しなければならない」と小野寺元防衛相が国会で発言し、岸田総理大臣はそれに同調し、防衛力の強化を口にしました。この国が既に世界でも有数の軍事国になっているという事実には空恐ろしいものを感じます。

プーチン政権と闘う女性たちプーチン政権と闘う女性たちの2021年。2022年の悲劇の前兆がここにあります。...

2022・5・28(土)昨夜家の近くのヒメボタル群生地に行きました。雨上がりの月のない夜、多くのヒメボタルが迎えてくれて、楽しませてくれました。戦いの続く地域に平和な暮らしが戻りますように、そして戦いのない地域の平和が続きますように、と、飛び交う光に願いました。願うことしかできない、だから、願います。

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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