小川洋子さんの文学は世界に広く受容されています。小さなもの、声が聞き取りにくいもの、損なわれたもの、への、凝縮した関心を書き続け、多くの人に読み継がれている彼女。その原点は『アンネの日記』にある、と小川さんは繰り返し語っています。
田畑書店編集部編の、「小川洋子のつくりかた」。小川洋子の魅力を再確認するのに最適な本です。表紙も可愛らしい、手に取ってもやさしい手触り、重くなくて、さりげなくて、小川洋子さんらしい本。田畑書店って初めて聞いたんですけれどどんな本屋さんなんでしょう。
https://www.instagram.com/tabatashoten/?hl=ja
(私はInstagramについて、理解ができていなくて、知らない間にInstagramに投稿しているようで、でもそれはPCでしか見れなくて、携帯では別のアカウントみたいで・・・要するにわからない、見方もよくわからない。)←そもそもどーでもいいことですね、本を読みます。
第1章は洋子さんの『死者の声を運ぶ小舟』。この文章が素晴らしい。「体験者の世代で記憶を途切れさせず、体験していない者がどうやってそれを受け継いで行くか」という問題提起に対して、「言葉を奪われた者の声なき声を言葉にする、という矛盾に黙々と耐えた作家、詩人」原民喜を例にあげ、「たとえ〜体験者が一人もいなくなっても、〜小さな箱に潜む声を聴き取ろうとする者がいる限り、記憶は途絶えない。死者の声は永遠であり、人間はそれを運ぶための小舟、つまり文学の言葉を持っているのだから」と結ばれます。
誰かが消し去ろうとしても消して消えることのない文学の言葉の力・・・耳を傾けることによって得られる力・・・。
第2章で、田畑書店編集部さんは、このブログでも取り上げた『密やかな結晶』についてまず取り上げていました。
小川洋子作『密やかな結晶』(1994年)は、2019年『The Memory Police(メモリー・ポリス)』という題で英訳出版され、大きな反響を呼びました。「記憶の消滅という最悪な出来事に言及することが人々を危険に陥れる」状況は、「2019年の今、これまでのどの時代よりも訴えかけるものがある」と、エージェントのアンナ・スタインはニューヨークタイムスのインタビューにおいて語りました。しかし、小川洋子は、「政治的な寓話を書こうとしたのではなく、ただ登場人物を描写し、それらの人物たちが置かれた状況をどう生きているかを描こうとしている」のだ、と、ここでは書かれます。
そういう小川洋子さんの立ち位置を、フランス語圏での『琥珀(こはく)のまたたき』を巡る、ブリュッセル、パリ、トゥールズでの作者を囲むイベントをまとめたのが第3章。第2章にまとめられたようにご自身でも「浮かんできた絵を忠実に描こう」としているとおっしゃる小川さんの創作過程が対話の中で浮かび上がってきて興味深いです。
妹の死をきっかけに、実の母から、外の世界から遮断され育った姉と弟二人。彼らは名前も奪われ、父の残した図鑑から、それぞれオパール・琥珀・瑪瑙(めのう)と新しい名前を選びます。土の中でひそかに長い時間をかけて誰の目にも触れないまま自然に出来上がっていった鉱物や化石は、そのまま三人の子どもたちの境遇に重なります。三人は誰にも知られないやり方で、6年8ヶ月の間、「成長」し、ある日「発見」されるのです。
三人はこの状況を苦にもせず、お母さんのために三人で何ができるかを考え、家の中にある図鑑や庭に没頭して「成長」していきます。しかしそれは永遠には続かない、いつ崩壊するのだろう、という予感がある。お母さんが囲い込もうとしても、否応なく外の世界からやってくるものがあって、楽園を破壊する、でも社会的な観点で見れば破壊されるのが正しい。「そこの矛盾がとても小説的だなと、自分で書いていて思いました」と小川さんは語ります。
小説の終わりの、子どもたちを救い出すきっかけを作った女性のインタビュー記事(それは語り手の女性が「印象に残っている」「彼女が子どもの声を、ちゃんと意味のある魅力的なものとして描写していた」と語っているものです)は、強く心に残ります。
17歳のオパールは自らの意思で家を出、母は自殺し、一番下の瑪瑙は施設に保護された後里子に出されました。今はその瑪瑙も亡くなり、遺言により、彼らを体現する小石は琥珀の元に戻り大切に並べられます。救い出された「琥珀」は、施設で保護され、アール・ブリュット(正規の美術教育を受けていない人による美術の作品)の作家として認められ、語り手の女性と出会うことになり、彼女によって物語の主人公となります。
司会者が「小川さんの作品には汲み尽くせない魅力や謎があり、今回のイベントで作品の全ての側面についてお話できたわけでもありません」と語りますが、この第3章は『琥珀のまたたき』という小説を読むための視点やヒントがたくさん提示されていて、でも説明的でなく、小説の素晴らしさを浮き上がらせてくれて、私にはとても嬉しかったです。
第4章では、堀江敏幸、千野帽子、という魅力的な、小川さんとほぼ同世代といえる、後輩たちとの対談です。ジュウシマツがどのように歌を獲得するか、親を乗り越えるか、という話から、堀江さんから「隔離されたジュウシマツを描きたいというのは、これはじつにもって小川さんの世界だなあ。誰もそんなこと考えませんよ」と言われた小川さん。笑いながら「どこかちょっと出かければ」「書かれるべきものが隠れていそうな気配を感じます」と。千野さんとの対話からは「細部」を「注意深く」「できるだけ細かく」「観察し拾い上げていく」ことによって「ストーリー」が「小川から河となって流れていく」と、語ります。
細部にこだわる姿勢が大きな芸術を作り上げる・・・そんな小川洋子さんを囲む会の記録が第5章です。『ことり』という小説が書かれる前に何が起こったのかの話。『密やかな結晶』『完璧な病室』『小箱』について語り、「作家に必要な才能はなんですか、と聞かれると、執念深さと答える」つまりうんざりするほど読み直して推敲する、という創作態度が示されます。最後の大阪芸術大学での特別授業も面白い。「じっと待ってその苦痛に耐え、内側から聞こえてくる声にいかに耳を澄ませられるかが大切だと思います」という最後の言葉は本当に難しいことだけれどその通りなんだと改めて感じ入りました。
第6章は神田法子さんによる全作品解説です。
これまでの小川作品を引っ張り出しながら読んだのでとても時間がかかった読書でしたが、至福のときでもありました。田畑書店さんありがとう!
2022・10・8 今日は旧暦9月13日、十三夜。南の空に美しい月と木星を見ることができました(写真は友人から送られてきたものです、わたしの携帯ではうまく撮れない)。